1976年11月7日 岩国教会週報、詩篇46
「先週(宗教改革記念日)説教より」
(岩国教会牧師12年、健作さん43歳)
静まって、わたしこそ神であることを知れ(詩篇46:10)
マルチン・ルターが『九十五か条の提題』を掲げ、当時の教会に信仰をめぐる討論を呼びかけた日(1571年10月31日)を記念して、教会が『信仰のみ』を根拠にして絶えず革新されるべきことを覚え、10月の最終日曜日が『宗教改革記念日』として守られています。
ルターの投げた波紋は、世界の歴史を揺り動かすことになりましたが、彼の長く深い内面的信仰生活が、あの歴史の状況下で、あのような現われ方をしたことに注目すべきです。彼は2度回心を経験しています。初めは『死』の問題。これを契機に法学者から修道士へと進路を変更しました。次は、純粋であろうとする自分の宗教生活行為の中に潜む『罪』の問題。彼は、苦しい心の中での戦いを経て、初めは断片的に、さらに先達の言葉から、最終的には聖書の言葉から『神は人間を打ち給いはするが、常に愛し給うのであるということに信頼するならば、人間は神のもとに子として迎えられる』という思想(信仰義認)を聴き取っています。これは長い間、彼が隠された魂の生活の持ち主であったことがもたらしたものです。
詩篇46篇は、ルターが気分の重い時、不安の時、愛読(愛誦)したと云われます。揺るぎなく与えられている恵みをそこに確かめたに違いありません。10節の「静まりて」は『独りになって』(浅野順一)とも、『戦いをやめること』(ワイガー)とも云われます。何かと対抗し、敵対することからのエネルギーではなく、『神への信頼』が日々の出来事や歴史状況との間で引き起こすエネルギーに動かされつつ生きてゆきたいと存じます。
(1976年10月31日 宗教改革記念日 岩井健作)
(報告欄より)
共同の祈り「岩国東分区役員研修会のために」
礼拝後、長老会、夕礼拝。
亀の里委員会 8日(月)
NCC岩国兵士センター運営委員会 館長:ボールドウィン宣教師
地区市民講座準備作業 9日(火)岩国教会
「天皇在位50年式典」反対集会 9日(火)山口労働会館
(岩国キリスト者平和の会等共催)
祈祷会・聖書研究会 10日(水)
幼児教育講演会(幼稚園母の会主催)
10日(水)岩国中央公民館
牧師在宅日 12日(金)
NCC岩国兵士センター 13日(土)
ノーサップ宣教師を囲む集会


