人の子が来るとき(1976)

1976年11月14日 岩国教会週報
「先週説教より」ルカ18:1-8

(岩国教会牧師12年、健作さん43歳)

イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬(たとえ)で語られた。…しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか。(ルカ18:1-8)

 よく知られた「不義なる裁判官の譬え」から三つのことを学びたい。

 第一。やもめが「願い続けた」と言うこと。信仰に生きることは運命を受動的に受け入れ、諦めるということではなく、「主に責められるとき、弱り果ててはならない」(ヘブル12:5)とあるように、困苦の中にも、われわれの予想に反して、助け主である方を求めて、祈る生活であるということ。

 第二。「人の子(救い主=イエス自身のことを、ここでは指す)が来るとき」。イエスの弟子たちがそうであったように、イエス(救い主)の姿は、私たちの目には隠されている。「今は…おぼろげに見ている」(コリント第一 13:12)。しかし、私たちが努力して救いに達するのではなくて、「来る」ことを待つ信仰が示されている。ルターの指摘のように、『主の祈り』では「父よ、み国におもむかせて下さい」とは祈らないで、「み国が来ますように」と祈るよう教えられている。

 第三。「地上に」。地上は不義なるものが渦巻いている。不義の中で、あるいはこの箇所のやもめのように、その不義に頼ってでも生きねばならない。しかし、その経験の中にも、「神はすみやかにさばいてくださるであろう」(ルカ18:8)という、神を示す比喩があることに目を留めたい。私たちの地上における一つ一つの経験が、証しへとつながるのか、それとも不平・不満・失望へと傾くのか、そこに、私たちの信仰のあり方が問われている。

(1976年11月7日 説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「永眠者記念礼拝のため」「教区信徒大会のため」「隠退教師とご家族のため」
 礼拝後、岩国東分区役員研修会、夕礼拝。
 シモン会運営委員会 16日(火)
 第13回 日本基督教団総会 16日(火)〜18日(木)箱根
 (西中国教区選出議員 岩井ら教職7名、信徒9名参加)
 祈祷会 17日(水)
 バザー反省会 20日(土)
 次週、永眠者記念礼拝。礼拝後、ご遺族と教会員による午餐会。

 教区信徒大会 22日(月)・23日(火)広島女学院高校
 ・テーマ「国権と良心」
 ・講演:種谷俊一牧師(尼ヶ崎教会)
  22日午後5時に教会からマイクロバス出発。


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

error: Content is protected !!