岩国からの便り「岩国兵士センター通信 No.2」(1976 史料)

日本キリスト教協議会(NCCJ)岩国サーヴィスメンズ(兵士)センター運営委員会
1976年春発行
BOX-1. 岩国教会所蔵史料

岩井健作:岩国教会牧師、日本キリスト教協議会(NCCJ)岩国サーヴィスメンズ(兵士)センター運営委員会 中央委員(現地委員長)(当時42歳、画像左から二人目)


岩国からの便り 岩井健作

 皆様それぞれ主にあってお励みのことと存じます。昨年クリスマスを中心とした募金活動には、全国の教会をはじめ、矯風会、学校また、前年に引き続き個人の支援者からのご献金を心から感謝いたします。特に婦人の方がたの支えに励まされています。今後ともよろしくお願いします。

 センターの働きは15年目に入りました。この働きをどういう視点から捉えていくかという場合、私は何よりも「教会の務め」という点が中心だと思っています。最近T.ホイットモア(現在スウェーデン在住)という黒人の元米海兵隊員の手記『兄弟よ俺はもう帰らない』(吉川勇一訳、時事通信社 1975)を読んで、海兵隊員が如何に徹底して軍隊という戦争の機械の一部品にされていくか、そしてまた逆の働き、すなわち「兵士よりも人間であれ」ということを実現させていく力が世界的広がりで存在するかということを知らされました。兵士であらねばならないという重い現実に対し、教会が予言者的であれ、祭司的役割においてであれ、具体的に彼らにとどく言葉で福音の語りかけをしていく務めとして、このセンターを捉えていきたいと思っています。そしてこれが日米両教会共同のほんとうの共同の働きになることを願っています。

 さて近況ですが、館長マージェリーさんの一年の休暇帰国の間、NCCJ(日本キリスト教協議会)岩国兵士センター運営委員会は館長代行を糸井牧師に決めました。プログラムはマクレー氏に代わって職員となったウィルソン氏と夫人(マージェリーさん息女)により進められています。最近、韓国民主化闘争のBBCフィルム・シノップド神父のニュースを上映したことなどから、基地当局は神経をとがらせているようです。基地には約4500人位の兵士がいます。5月5日、子供の日、基地が一般に公開されますが、岩国市民や近郊から7万人もの人がほとんど無自覚に見物だけするといった現状は、この基地が朝鮮への攻撃(核武装可能な)基地であってみれば、何ともやるせない気持ちです。センターの働きにかかわりを持っていると、まだたくさん考えてみなければならない課題があります。例えば、従軍牧師制度をもつアメリカの教会と憲法9条の立場に立とうとする日本の教会との関係。西南学院の峯崎教授からお手紙をいただいたような「軍人伝道」の視点から教会の働きを捉えてみること、基地反対運動や反戦運動との関連、良心的兵役拒否の問題、いわゆる「基地の女たち」と兵士の問題、基地をかかえた地方自治体の問題等々。皆さま方からいろいろ教えていただいて励みたいと思っています。

岩井健作(岩国教会牧師、現地運営委員長)



1977年11月発行「岩国兵士センター通信 No.4」(1977 史料)

日本キリスト教協議会(NCCJ)岩国サーヴィスメンズ(兵士)センター運営委員会
BOX-1. 岩国教会所蔵史料


岩井健作:岩国教会牧師、日本キリスト教協議会(NCCJ)岩国サーヴィスメンズ(兵士)センター運営委員会 中央委員(現地委員長)(当時44歳)

この文章の中に岩国教会に触れた箇所があるので以下抜粋。

”12月24日のクリスマスイブには岩国教会の有志が城下町地域のキャロリングを終えると岩井牧師の運転するマイクロバスに乗って最後にセンターを訪れるのが近年の習慣なのです。ここでは肌の色、言葉の違い、国籍による差別もなく老若男女が心から神を讃美しクリスマスを迎えます。この地に建てられている兵士センターは基地がある限り必要なものに思えて参ります。”

1977年のクリスマス説教(1977 岩国教会での最後のクリスマス)

1977年12月25日、1978年1月1日 岩国教会週報より
BOX-1. 岩国教会所蔵史料

降誕祭主日礼拝出席84名
洗礼式(受洗者 岩井容子、授洗牧師 岩井健作)、聖餐式、午餐会62名
25日CS101名、25日18時45分から燭火礼拝
前週礼拝出席35名、夕拝5名、18日該当募金23名、中谷裁判公判3名、23日街頭募金13名、23日キャロリング20名

降誕祭主日礼拝説教題「神われらと共にいます」マタイ 1:18-25

”その名はインマヌエルと呼ばれるであろう。これは「神われらと共にいます」という意味である。”(マタイ1:23)

「神われらと共にいます」。クリスマスのメッセージは私たちが心に思う想いよりもはるかに深く私たちを包んでいるのではないでしょうか。私たちは親子、夫婦、親友、仕事の同僚など「われら」というにふさわしい人を心に思い浮かべることはできます。そうしてそのことにしあわせを思います。

 しかし、一度孤独にめざめ、自立への旅立ちを歩み出してしまった者や他人の罪、自分の罪の深さに気づいてしまった者には、もうそう安易に「われら」とは言えません。聖書はそのことを充分承知の上でなお、「神われらと共に」といっています。それは21節後半で「彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」という言葉と一緒に言われています。ここでは「われら」という言葉は人間を本当に孤独にしてしまう力、虚無の力、罪の力を越えてひびいてきます。それは、私たちの人間としての共同的あり方の偽り、貧しさ、破れといったものにはもう驚かない程に力強く、私たちをつつむメッセージとして響いてきます。私たちは自分が潔癖であろうとして、連帯的あり方をやめてしまいます。時をかけ、気持ちを抑えてまで、相手と付き合い、何かつながりを持とうとする温かさを失います。また逆に、異なった者から逃れて仲間うちに身を沈めて一時をしのぐ弱さを持っています。ヨセフも「正しい人」でマリヤとの婚約解消を計りました。しかし、神がヨセフとマリヤの結びつき共に生きる在り方を用い給うたことに深い示唆を与えられます。神が共にいます「われら」を憶えつつ、クリスマスのさんびかを心にとめたいと思います。

 とこしなえのみことば
 今ぞ人となりたもう
 待ち望みしその民よ
 おのがさちをいわわずや

(「先週の説教より」1978年1月1日 岩国教会週報掲載 岩井健作)



1977年のアドヴェント第3主日説教(1977 岩国教会での最後のクリスマス前)

1977年12月18日 岩国教会週報より
BOX-1. 岩国教会所蔵史料



説教題「主を知る知識」待降節第3主日(1977年12月11日 岩国教会礼拝説教)
イザヤ書 11章1ー9節「エッサイの株から一つの芽が出、」(イザヤ11:1、口語訳)
1977年12月18日 岩国教会週報掲載

「エッサイの株」という言葉には意味深いものがあります。木の切り株が今はない、倒された樹木の盛んな様を思い起こさせるように、この株はダビデ王朝を思い起こさせます。諸国と張り合って結局は力の論理で立とうとしながら、主(ヤーウェ)に倒された王朝。そして今はダビデの名ではなく、その父の貧しい羊飼いだったエッサイが残された株と共に覚えられている言葉でイザヤのメシア(救い主)待望の預言の言葉が始まっています。そしてこの預言の6〜9節では「主を知る知識が地に満ちる」ところでは「おおかみは子羊と共にやどり」(イザヤ11:6)というように、力の象徴であるようなものと力の対極である子羊に象徴されるものとが、共に宿っている様がメシアの支配するところの情景として描かれています。

 さて、「主を知る知識」ということですが、聖書では主を知る知識は、神に知られていることを知る知識(ガラテヤ書4:9)が大切とされ、知識の究極は能動態であるよりも、受動態の姿(『聖書大事典』)をとるものということが重要です。無知を痛感することは、神のみこころを知ることへと向けられねばならないでしょう。

 「みこころのままに」という祈りのあるところには、「力の世界」と同居しつつ、なおそれをあがないつつ生きる生き方が、キリストのゆえに許されています。クリスマスを迎えるにあたり、まさに力の論理と同居しつつ、そのあがないを生きる信仰による諸運動・施設からの訴えに耳を傾けたいと思います。(先週説教より)

岩井健作


error: Content is protected !!