2006.6.11、明治学院教会(35)、聖霊降臨節 ②
(単立明治学院教会 主任牧師として3ヶ月、
牧会48年、健作さん72歳)
サムエル記上 20:11-23
1.少し途切れてしまいましたが、再びサムエル記を学びます。
サムエル記は旧約聖書の中の歴史書です。紀元前500年頃の作品。
「申命記史家」編集の書物です。異なる伝承を並べて記し、読者の判断に委ねつつ「申命記」の精神で、当時大国に追従する為政者への批判を「イスラエル王国史」として振り返りつつ語ります。
2.今日の箇所、「サムエル記上 16:14」から「サムエル記下 5:25」までの一連の物語の一部、「ダビデ王の台頭史」、サウル王との政権交替劇を描く著者は、歴史の細部を描きます。
最近の「解放の神学」という民衆史のうめきの立場から聖書の歴史を見た、申命記が上層部の宮廷史であるという批判があります。
しかし、歴史を細部の人間関係史として描いている妙味があります。
例えば、「日本国憲法」を「押し付け」だと言う人がありますが、細部の物語では「いかに日本の関係者が参与したか」の生の物語を知らない暴言です。
3.この箇所の決定的テーマは「主はサウルを離れて、ダビデと共におられた」(サムエル上 16:14、18:12)という「王の交替」です。
だが、それを描くのに、ヨナタン(サウルの王子、ダビデの妻の兄)という人物が、その交替に伴う決裂・断絶・別離・極度の緊張・涙の出来事を演じています。
それは、政治史に欠落した精神史・人間関係史・信仰史を表現しています。
4.サウルはダビデに殺意を抱き、そのチャンスを伺います。
サウルの王子ヨナタンは最も身近でその殺意を察し、ダビデをその危険から逃れさせます。その決意は固いのです。
”ヨナタンはダビデに答えた。「決してあなたを殺させはしない。”(サムエル記上 20:2a、新共同訳)
しかも、退けられる王への悲しい敬意を持って、最後まで遇するヨナタンの人格の軋みが主題です。
5.涙の別れ。二つの別れがあります。
一つは、父との別れです。内面的別離です。
もう一つは、ダビデと友情の深みを確認する涙の別れです。童話『泣いた赤鬼』を思い起こします。
「主が常にわたしとあなたの間におられ」が繰り返されます。
”わたしとあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえにわたしとあなたの間におられる。」”(サムエル上 20:23、新共同訳)
”ヨナタンは言った。「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。」”(サムエル上 20:42、新共同訳)
別離と友情は、矛盾しているようですが、一対の言葉です。
神の歴史は、このような濃(こま)やかな細部を含んで進んでゆくことが慰めです。
「神の歴史」の一齣(ひとこま)でない生活の細部はないのです。
◀️ 2006年 礼拝説教