祈りと待望(2012 礼拝説教・イザヤ・待降節)

2012.12.9、明治学院教会(296)降誕前 ③ 待降節 ②

(単立明治学院教会牧師、健作さん79歳)

イザヤ 63:19-64:4、ローマ 13:11-14

どうか、天を裂いて降(くだ)ってください。御前に山々が揺れ動くように。(イザヤ書 63:19b、新共同訳)

1.主の祈り

 私たちは、毎日曜日の礼拝で「主の祈り」を祈ります。

 これには深い意味があります。今の整った形は初代教会が整えたものです。

 イエス自身の祈りは、もっと短く、ほとんど叫びに近いものであったと言われています。

 例えば「み国が来ますように」という祈りは、現実の世界の不条理・不義の暗さの中での神への叫びでした。

2.叫びに近い祈り

 叫びに近い祈りの伝統は、旧約聖書にあります。今日のイザヤ書63章19節bの言葉はその例です。

どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように。

主よ、天を傾けて降り、山々に触れて、これに煙を上げさせてください。”(詩編144:5)

 と詩編にはあります。

 この祈りは神への切なる求めです。

あなたを待つ者に計らってくださる方は、神よ、あなたのほかにはありません。”(詩編64:4、新共同訳)

 こんな激しい祈りを捧げた時代とはどんな時代でしょうか。これには前史があります。

3.前史(第二イザヤ、苦難の僕の歌)

 今から2500年ほど前、イスラエル民族のバビロニア捕囚期の末期です。バビロニアが滅び、ペルシア帝国が勃興し、解放と祖国復帰の時が到来します。その時、民族を指揮したのが「第二イザヤ」(イザヤ書 40-50章)と呼ばれている匿名の預言者です。

 復帰に伴って政治的独立運動が起きます。預言者はそれを支え、セシバザルという人物を立てて、この人をイスラエルを救うメシア的王として密かに即位させます。このことはペルシア帝国には到底承服し難いことで、彼は捕らえられ、責任を取らされ、苦しめられます。虐げられたけれども、遂に口を開かず、屠り場に引かれる子羊のように黙して、人々に代わって罪を負い、遂に不法にも殺されます。

 帰還の民は、彼の犠牲によって破滅を免れ、エルサレム周辺に定着します。民衆の心に刻まれたこの指導者の姿は、名を秘されたまま「苦難の僕の歌」(イザヤ書49章以下)となって語り継がれます。民衆自身には彼を死に追いやった負い目が残りました。

4.第三イザヤ

 それから少し後の時代です。老預言者ハガイが立てたユダの総督ゼルバベルがペルシアの官僚によって圧殺されます。

 民族は失意と挫折に陥ります。

 彼らは語り継がれてきた「苦難の僕の歌」を思い起こして、激しく神に救いを求める祈りを捧げます。これが、イザヤ書63章19節bの祈りです。「第三イザヤ」(イザヤ書 56-66章)といわれる部分に残されています。

5.祈りと待望

 代々の教会は、この箇所を”待降節”のテキストとして読み続けてきました。

 そして、時代の巨大な”闇”を自覚してきました。

 今の時も、途方もなく濃く、深く、広い”闇”が、神の創造による人間の尊厳、命、繋がりを、足蹴にし、脅かし、抹殺していきます。

 我々はそれを自覚し、激しく祈らざるをえません。「主よ、御国をきたらせ給え」と。

”君はこんな苦しい時が来たことを単に呟き不平を言ってはいけない。キリストの民であり、神の民である君に言う。君は自分を捧げなければならない。そして勝利を思わねばならない。困難な時にこそ、正しいもの、永遠なるものが準備されているのだということを思わねばならない。”(ブルームハルト)

”闇”に心を震わせる日々、それゆえにこそ主を待ち望みたい。激しい祈りを宿しながら。

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