2025年12月3日、岩国教会からお預かりした14ファイルのタイトルは以下の通りです。
(岩国教会週報)
1.週報綴(1969年4月〜1970年3月)
2.週報綴(1970年4月〜1971年3月)
3.週報綴(1971年4月〜1972年3月)
4.週報綴(1972年4月〜1973年3月)
5.週報綴(1973年4月〜1974年3月)
6.週報綴(1974年4月〜1975年3月)
7.週報綴(1975年4月〜1976年3月)
8.週報綴(1976年4月〜1977年3月)
9.週報綴(1977年4月〜1978年3月)
(重複週報)
10.週報牧師用(1977年1月〜1978年4月)
11.週報(1975年1月〜1975年12月)
(NCC岩国兵士センター資料:8割が英文)
12.NCC岩国兵士センター資料(歴史資料)1971年〜1974年
13.NCC岩国兵士センター資料(歴史資料)1975年〜1976年
14.NCC岩国兵士センター現地運営委員会
健作さんの岩国教会牧師在任中(1965年〜1978年)13年間のうち9年分を今回お預かりしました(初めの4年間の週報も岩国教会に所蔵されている可能性があります)。週報は1975年と1977年が重複して別ファイルに保存されていました。なお反戦喫茶ほびっとの資料は今回のファイルには含まれていないようです。
岩国教会時代から健作さんは週報に「先週説教より」を記載しています。以下添付は1977年12月18日(48年前のアドヴェント第4主日、当時健作さん44歳、岩国教会での最後のクリスマス前週)の週報です。


説教題「主を知る知識」待降節第3主日(1977年12月11日 岩国教会礼拝説教)
イザヤ書 11章1ー9節「エッサイの株から一つの芽が出、」(イザヤ11:1、口語訳)
1977年12月18日 岩国教会週報掲載
「エッサイの株」という言葉には意味深いものがあります。木の切り株が今はない、倒された樹木の盛んな様を思い起こさせるように、この株はダビデ王朝を思い起こさせます。諸国と張り合って結局は力の論理で立とうとしながら、主(ヤーウェ)に倒された王朝。そして今はダビデの名ではなく、その父の貧しい羊飼いだったエッサイが残された株と共に覚えられている言葉でイザヤのメシア(救い主)待望の預言の言葉が始まっています。そしてこの預言の6〜9節では「主を知る知識が地に満ちる」ところでは「おおかみは子羊と共にやどり」(イザヤ11:6)というように、力の象徴であるようなものと力の対極である子羊に象徴されるものとが、共に宿っている様がメシアの支配するところの情景として描かれています。
さて、「主を知る知識」ということですが、聖書では主を知る知識は、神に知られていることを知る知識(ガラテヤ書4:9)が大切とされ、知識の究極は能動態であるよりも、受動態の姿(『聖書大事典』)をとるものということが重要です。無知を痛感することは、神のみこころを知ることへと向けられねばならないでしょう。
「みこころのままに」という祈りのあるところには、「力の世界」と同居しつつ、なおそれをあがないつつ生きる生き方が、キリストのゆえに許されています。クリスマスを迎えるにあたり、まさに力の論理と同居しつつ、そのあがないを生きる信仰による諸運動・施設からの訴えに耳を傾けたいと思います。(先週説教より)
岩井健作
