星の時間《マタイ 2:9》(1988 クリスマス燭火讃美礼拝メッセージ)

1988年12月24日(土)午後7時半〜8時半
神戸教会クリスマス燭火讃美礼拝(約530名)
指揮:阿部恩兄、合唱:神戸教会聖歌隊、
奏楽:瀬尾千絵姉、アンサンブル:シュピール•ドーゼ、
礼拝後、三方に分かれてキャロリング
(1989年1月1日 神戸教会週報に掲載)

前週、小磯良平兄 12月16日(金)逝去、85歳。12月19日(月)神戸教会にて岩井牧師による葬儀司式。「神戸で出合った聖書の言葉」(2006 「婦人の友」)

(牧会30年、神戸教会牧師11年、健作さん55歳)

マタイ 2:9、クリスマス讃美礼拝メッセージ「星の時間」岩井健作

 ”彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。”(マタイによる福音書 2:9、口語訳)


 1月になって神戸近郊で、映画「モモ」が上映されるというので、それにちなんで、この幻想に満ちた、しかも文明批判を鋭く宿した作品を取り上げさせていただきます。

 『モモ : 時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』(ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳、岩波書店 1976)

 この作品は、西ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの1973年の作品です。

 現代人、特に大人たちが忙しくしていて、心でじっくりと感じるような”時間”を失っていることを痛烈に批判する内容を持った幻想的な児童文学です。

 筋は、人間それぞれに固有な時間を奪うことにより繁栄していく「時間貯蓄銀行の灰色の紳士たち」の秘密を知った、主人公の少女モモが、勇気をもって、奪われた時間を取り戻すというものです。

 モモは「時間の国」で「星の時間」というものを知ります。

 それは、まったく一回きりしか起こり得ないような仕方で互いに働き合う時間で、本当に自分のものである間だけ生きた時間でいられるものです。

 それを感じる心がないのなら、その時間はないのと同じです。

 それは星の振り子に呼応して、蕾(つぼみ)がふくらみ、振り子が遠ざかると散っていく、どれ一つとして同じ花ではない光景として描かれています。


 この大変幻想的な物語を読んでいて、ふと聖書のイエス降誕の物語が重なってきました。

 特別に大きい星の出現を、ローマ皇帝やヘロデ大王の繁栄に結びつけることしかしなかった当時の通俗的世界観に対して、それをイエス誕生と結びつけたことは、エンデ流に言えば「星の時間」を示しているということです。

 私たちが、自分だけにしかない、苦悩、悲しみ、愛、喜び、出会いというものを生きている時は、「星の時間」に触れ合っている時です。

 そんな心の動きを促すように、ベツレヘムの星は輝いたのではないでしょうか。


祈り

 神さま。

 私たちは「忙しいですね」と言葉を掛け合って挨拶している間に、心が亡びてしまい、共に喜び、共に悲しみ、愛し、信頼し、励まし合い、慰め合うという大切な時を失っていることすら気づかないことがあります。

 このクリスマスにもう一度、主イエスへと導く星の囁(ささや)きを覚えさせてください。

 富める国でありつつ貧しい心の者などと言われる日本の現状に打ち勝つことを得させてください。

 差別や抑圧に加担することなく、人々の苦しみが心に響く者となさせてください。

 この祈りを、主イエスの名によりお願いします。

アーメン

(1988年12月24日 神戸教会讃美礼拝 岩井健作)


1988年 説教・週報・等々
(神戸教会10〜11年目)

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