権力といのち《ルカ 2:1-7》(1988 週報・説教要旨・クリスマス礼拝・洗礼式・転会式・聖餐式)

1988年12月18日、待降節第4主日、
神戸教会クリスマス礼拝(約186名)
(説教要旨は当日週報に掲載)
星の時間」(12月24日讃美礼拝)

前々日、小磯良平兄 12月16日(金)逝去、85歳。礼拝翌日の12月19日(月)神戸教会にて岩井牧師による葬儀司式。「神戸で出合った聖書の言葉」(2006 「婦人の友」)

(牧会30年、神戸教会牧師11年、健作さん55歳)

ルカ 2:1-7、説教題「権力といのち」岩井健作

 ”客間に彼らのいる余地がなかったからである。”(ルカによる福音書 2:7、口語訳)


 ローマ皇帝アウグストが属州の人口調査を行って、税負担の土台を整備し、全人民の出生地と負担能力を把握しようとしたこと、これは14年ごとに繰り返して行ったことは、歴史家によってほぼ確実だとされています。

 クレニオによるシリア地方の人口調査のことも歴史家の証明するところです。

 ルカ文書がこのことからイエスの誕生物語を記し始めるのは、イエス誕生の意義がユダヤの片隅の事件ではなく、全世界の救いに関する出来事であることを強調する、著者ルカの個性ある「救済史観」によるものでしょう。

 しかし、その意図とは別に、イエスの誕生がこの世の統治・支配との絡みで伝えられているところに感心を注がれます。


 当時の言語状況から考えると、帝国の東半分はギリシア語が公用語とされていましたから、日常的民族言語としてはアラム語を話すユダヤ地方の人々の登録の風景は、ぎこちなく、よそよそしく、また不安に満ちたものであったと想像します。

 言語が支配できれば、人々を統治し管理することができると思うのは、皇帝を頂点とする支配者の考え方でしょうが、人の心というものはそんなに簡単ではありません。

 植民地支配を受けたところでは、言語を奪い、文化までさえ変質させても、人の奥底深い「魂」まで操作はできません。


 ヨセフとマリアは人口調査に服します。

 マリアは新しい命を胎に宿しています。

 彼らは旅程の遅れで宿の確保ができず、客間から外れた家畜の居場所が幼な子のゆりかごとなったという物語が続いています。

 このイエス誕生の物語には、その当時の社会的秩序の枠組みからはみ出た形で生まれたイエスへの暗示があります。

 「聖霊による受胎」(1章)、「客間(人々が社会的秩序の枠内で、儀礼を守って交際する場)の外の宿り」等々。

 このことは、イエスの誕生において示された「神の国の力」は、ユダヤ民族の考え方やローマ帝国の枠組みの内うちに起こりながら、そこを突き抜けて自由であり、それを否定し、相対化し、その力に抗するという諸側面を宿していることの象徴であるということです。

 社会的・国家的・民族的市民権によって保障される更に以前の命を示しています。

 その命は「言葉が肉体となった」(ヨハネ)とも言われ、また「十字架の死」をもって逆説的に示される「復活のいのち」とも言われ、「愛」「真実」とも表現されます。

 これが「権力」との絡みでよりはっきりと顕(あらわ)になっているところに、「福音」の根源性を覚えます。

(1988年12月18日 神戸教会讃美礼拝 岩井健作)


1988年 説教・週報・等々
(神戸教会10〜11年目)

error: Content is protected !!