深い淵より – 罪責ということ

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第51回「旧約聖書 詩編の言葉」③
詩編 130編 1節-8節

1 都に上る歌。
 深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
2 主よ、この声を聞き取ってください。
 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
 主よ、誰が耐ええましょう。
4 しかし、赦しはあなたのもとにあり 
 人はあなたを畏れ敬うのです。
5 わたしは主に望みをおき
 わたしの魂は望みをおき
 御言葉を待ち望みます。
6 わたしの魂は主を待ち望みます。
 見張りが朝を待つにもまして
 見張りが朝を待つにもまして。 
7 イスラエルよ、主を待ち望め。
 慈しみは主のもとに
 豊かな贖いも主のもとに。
8 主は、イスラエルを
 すべての罪から贖ってくださる。

旧約聖書 詩編 130編

1 、詩編を手がかりにして、聖書の読み方への示唆を考えてまいりました。23編では「主は私の羊飼い」という句が、羊飼いが羊を育てることに類比して神(主)と私たちとの関係がイメージ出来なければ、内容的に理解したことにはなりません。実際には、羊を飼う文化の中にいませんから、さらに我々の経験(育て養う生活経験)にまでその関係を類比させて初めて受容(理解)したことになります。聖書を読むことは我々のイメージ(関係の類比)の豊かさに委ねられているという事を指摘いたしました。121編では、「われ山に向ひて目を挙ぐ」の一句を小説に引用した太宰治の表現にならって、文学的表現が次の「わが助けは何処より来るや」という哲学的思考や「わが助けは天地をつくりたまえる、主よりきたる」という神学的告白をも包含していることへの洞察が、聖書にアプローチする感性だという事を述べました。もしこういった感性や洞察力を働かせれば、聖書は想像以上に豊かなものとなって、聖書が宿す「神」との豊かな出会いがもたらされるでしょう、ということが言いたかったのです。

2 、聖書の知識的説明、解説を聴くこと、学ぶことは勿論大切です。その知見は教養講座的、朝日カルチャーセンター的なものと言えるでしょう。あるいは神学校で講義される学問的水準の知識でもあるでしょう。それはいわば「人生の糧・信仰の糧」として聖書を読むことには付随的なものだと思います。人生を聖書とのかかわりでどう生きるかという問題を中心的に取り組んでいるのは、何といっても「教会」(と言ってもいろいろありますが)でしょうから、そこの場で勝負することが聖書の読みにとっては大事だと思っています。しかし、聖書をあらかじめ教会が確保している「教義」「教理」に添ってだけ解釈する読み方は、聖書が歴史の中で長い年月を経て形成してきた「歴史の中で示された真理(福音、神の言葉)」という性格を捨象(考えのうちから棄て去る)してしまいます。今の教会にはこのような教義主義的読み方がかなりあります。こういう読み方には批判的な視点から聖書の成り立ちを述べている本では、上村静『旧約聖書と新約聖書 –「聖書」とは何か』(新教出版社 2011)があります。つまり聖書を読むことが、今自分が生きている歴史(状況)の中でどのように生きて行くかという問題を含めて「人生の糧、信仰の糧」になるような読み方をしないと、本当には読んだことにはならないのではないかということです。

3 、今日は詩編130編を取り上げました。「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」。元来は個人の懺悔詩ですが、同時に神の赦しへの信頼が歌われています。苦難の中でその解放の主を待ち望むことが強調され、巡礼歌に編集された時、7-8 節が追加され、「主を待ち望め」が強調されました。これは歴史の苦難を生きる者への励ましとして読み続けられてきました。私にも思い出があります。私は牧師になりましたが、太平洋戦争中の日本のキリスト教の戦争協力の事実を知って「日本の教会の牧師」であることに絶望しました。しかし、1967年、日本基督教団が、私たち若手の声を受け入れ戦争協力の誤ちを懺悔した「戦争責任告白」を発表して初めて自分のキリスト者としての場がこの日本にもあることを自覚しました。その時大きな支えになったのが詩編130編です。聖書を生きた歴史の中で読まないで、単に自分の人生の安心立命からだけ読んでいるのは、聖書の中身が、歴史の中の闘いの書であることを欠落させてしまうのではないか、という思いを持っています。聖書のもっとも中心的メッセージであるイエスの生涯と振る舞いも歴史の闇をどのように生きたか、その生涯、業、振る舞い、教え、言葉そのものが、「神」を証するメッセージである事を考えても、聖書を読むことは、自分が、自分のおかれた歴史の諸課題とどう取り組んで生きるかということと、深い呼応関係にあるのだという事を知って頂きたいな、と思います。