からし種に目を留めるイエス(2013 礼拝説教)

2013.2.3 明治学院教会(302)降誕節 ⑥

(明治学院教会牧師、健作さん79歳)

エゼキエル 31:1-12、マルコによる福音書 4:30-32章

「神の国を何にたとえようか。…それは、からし種のようなものである。」(マルコ 4:31)

.「からし種」は、灌漑をすれば茎高は5メートル位にはなり、種は油をとり、茎と殻は家畜の飼料とされるそうです(『聖書大辞典』)。元来、ユダヤでは自分の王国を立派なレバノンの香柏(杉)に譬えることが普通で「からし種」が譬えに用いられるのはその伝統ではありません。

「成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほどに大きな枝を張る」(マルコ 4:32)

 は、世界を一本の木に譬えて「その陰にもろもろの国民は住む」(エゼキエル 31章6節)に引きずられた誇張が感じられます(大貫隆『神の国のエゴイズム』教文館 1993、p.182)。

 エゼキエルの17章22節以下には、ユダ王国が紀元前6世紀バビロニヤによって滅ぼされて、その後、捕囚から帰還して、国の再建をなし遂げる様を「その枝の陰に各種の鳥が巣をつくり」と表現しています。

 ここにはイスラエル中心主義が見られます。現代では、イスラエルがアラブ系パレスチナ人を追放して、ユダヤ国家のみを再建するというシオニズムの根拠に利用されています。大貫さんはレバノンの香柏の比喩の伝統があることを意識して、

 イエスは「神の国」の広がりを小さな「からし種」で語ったのだ

 と記しています。私もそれに同意します。少し長いが引用します。

「イエスのまなざしは小さな命に向かっています。……イエスが述べ伝えた神の国は社会的に見ますと、少なくとも結果的には、何よりも虐げられた人たちにとっての福音でありました。そのこととその神の国を譬え話によって説明しようとして彼が使った素材の選び方は密接不可分であると言わざるを得ないと思います。」(前掲183頁)

「からし種」は自己中心的・民族主義的なユダヤ思考への批判的抵抗であると同時に、生活や自然の細部が宿している豊かさと、小さな生命への開眼です。

.1948年のイスラエル国家の成立によって、その地にアブラハム(の子イシュマエル)の時代から住んでいたパレスチナ人は追放されました。その難民は400万人以上です。いわゆる「パレスチナ問題」です。

 イスラエル寄りの歴史理解をしてきたヨーロッパのキリスト教にはこの問題の本質が見えにくくなっているといいます。村山盛忠牧師(日本基督教団)は一貫してこのことを主張してきました。今回『パレスチナ問題とキリスト教』(ぷねうま舎 2012)でそれをまとめられました。その中に

「イエスは、あの地域で共生のために生命を捧げて殉教した、最初のパレスチナ人であったと私は思います」(p.81)

 というF.A.ハミード氏(初代パレスチナ駐日代表)の言葉を引用しています。「からし種」の譬えは「シオニズム(イスラエル中心主義)」への抵抗の芽を宿しています。

 私たちの教会は毎年クリスマス献金の一部をNGO「地に平和を」(太田道子代表)を通して、パレスチナ難民キャンプの中の女性の働きに捧げています。「からし種」を地に蒔く働きの一つに繋がっていると思っています。

 今週から、クリスマス献金の送り先への添え書きを書いています。送り先が殆ど小さな「からし種」のような働きである事を感じました。これを覚えることは大切な事だと思いました。この譬えの意味の大きさを、恵みとして、また励ましとして感じました。

 生活の中の小さな事が「神の国(支配)」に繋がっていることを心に刻んで参りたいと存じます。

「神は細部に宿り給う」

 祈ります。

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