イザヤの預言(2010 田中忠雄 ⑫)

2010.7.7、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ ⑫」

(明治学院教会牧師 健作さん76歳)

イザヤ書 1章1節−9節

  選句「天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる」(イザヤ書1:2 新共同訳)

1.辻智美さん(小磯記念美術館学芸員)の解説

「預言者とは、神の言葉を人々に伝達する使命を果たすために神から選ばれた人です。しかし、神から託された預言者の言葉は、多くの人々にとって信じ難く悲惨なものであったために、預言者は人々から迫害されることもありました。イザヤは、四大預言者の第一人者とされており、単独で表現される場合、伝統的には巻物や燃える炭、鋸などと共に描かれてきたようです。この作品において、イザヤは画面右に、巻物をもって登場しており、画面左に描かれた、イエスの受難を語っているのでしょうか。画面空間の余白が、預言と預言された出来事が起こる時間の差を感じさせるようです。」(辻智美『特別展 田中忠雄回顧展』p.108)

2.イザヤ書は聖書学の研究では、3つの部門に分かれる(1−39章、40−55章、56−66章)。それぞれ第一、第二、第三イザヤと呼ばれている。それぞれの時代において、思想、文体、時代が異なる。普通ただ「イザヤ」という場合は第一イザヤの部分を残した預言者イザヤのことを言う。

 そのイザヤは紀元前8世紀の中頃を生きた人である。国家は北のイスラエルと南のユダに分裂していた。この一帯は古代オリエントを支配していた新アッシリア帝国の脅威にさらされていた。紀元前733年、立場を異にする北王国が南王国を攻撃する(シリア・アッシリア戦争)。

 その北王国が前722年にアッシリアに滅ぼされてしまった。アッシリアとエジプトという二大国に挟まれ、動揺する南王国ユダも、アッシリアの攻撃を受け、前701年には首都エルサレムは陥落寸前であった。

 国内的には、統一王国の成立(前994年)以来、社会の階級化と宗教の形骸化が進行していた。このような時代、神ヤハウェの召命をうけた預言者イザヤが、ヤハウェ信仰を提げて、ユダの首都エルサレムに登場した(6章)。

 彼の活動は、前740年頃からで、前701年の言葉が最後である。預言の本領は、徹底したヤハウェ信仰にもとずく批判的精神であったといってよい。初期の批判は、主に、宗教批判社会批判に集中する。

3.批判の内容。

 王国時代には、イスラエルの伝統的な「嗣業の地」(土地は神からの財産で譲ってはならないもの)が解体し、富が一部に集中し(イザヤ5:8f)、社会的弱者の生存が踏みにじられていた。イザヤはこれを見逃すことが出来ず「みなしごを正しく守り、寡婦の訴えを弁護せよ」と民に「義と公正」を求めてやまなかった。彼によれば、このような社会の不義不正は民が神ヤハウェを疎んじ、生きた信仰を形式的祭儀にすり変えてしまった結果であった(1:4)。

4.田中さんの作品には、祭儀宗教に堕落した、宗教批判がよく描かれている。

 神殿で、祭儀として読まれている「巻物」(律法)を現実社会の文脈で読み直す預言者イザヤが描かれている。

 大きく見開いたまなざし、現実を凝視する眼、神を示すように天にあげられた手、大地のしっかりと踏ん張られた足、悪を叱責する目に比べて体全体は神の側にしっかりと立つという、預言者の神と民との間の立ち位置がよくでている。

5.預言者の迫害をイエスの十字架の場面と重ね合わせた所に、田中さんの独創がある。

 朱色を受難にあわせて使い、預言者の衣の黄色よりもイエスの「十字架の輝き」を表す黄色を一段と鮮やかな色にした所にも強調点の置き所への配慮が伺われる。十字架のイエスを追い立てる兵士をくすませて描き、本性は顕にしないが、権力の姿を画面にしっかりと入れていることは田中さんの、世界の構図の描き方であろう。

 見る人に、聖書の一面を鮮やかに示す作品である。

洋画家・田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ(2009.12-2010.9)

13.エリヤと鳥

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