みくにを来たらせ給え(2010 田中忠雄 ⑯ 最終回)

2010.7.7、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ ⑯ 最終回」

(明治学院教会牧師 健作さん77歳)

マタイによる福音書 6章9節−13節

 1998年、神戸市立小磯記念美術館で「特別展 田中忠雄回顧展」が開催された。その時、この「みくにを来たらせ給え」の絵は遺族の田中文雄氏から美術館に寄贈されたときいている。

 展覧会のポスターに用いられたので、このは絵は関西の多くの人に親しまれた。

「教会で一心に祈る人々を描いた本作は、1950年のものです。この前年頃から田中忠雄は、キリスト教的主題に基づいた作品を本格的に制作するようになりました。物心ともに荒廃した終戦後の混乱の中、自らの向かうべき道をみいだしたと思われます。「主の祈り」の一節が主題になっているという本作は、第五回行動美術展に出品されています」(『特別展 田中忠雄回顧展』神戸市立小磯記念美術館 1998、p.102 )と廣田生馬氏は解説している。

 田中47歳の時の作品である。

 教会の礼拝の祈りの場面であろうか。礼拝では必ず「主の祈り」が唱和される。年寄り夫妻も子供も幼な子を膝に抱いた若夫婦も一心に祈っている。

 当時田中が教会生活をしていた霊南坂教会であろうか。

 表題になっている「みくにを来たらせ給え」はイエスが弟子達に教えたとされている「主の祈り」の一節である。

「主の祈り」は、現在の日本のプロテスタント教会で礼拝式文として使われているものには、幾つかの訳があるが、『讃美歌21』の93-5にA,B,Cと三つの訳が収録されている。以下はその一つ1880年訳である。

天にまします我らの父よ
ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。
み国を来らせたまえ。
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
われらをこころみにあわせず
悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり。
ア−メン。

 これは長い教会の礼拝の歴史の中で生み出されたものである。

 新約聖書では、マタイ福音書6章9節−13節とルカ福音書11章2節-4節の2箇所に出てくる。ここでの本文を比較してみると、その違いがはっきりしている。それはすでに初代の教会で礼拝式文として用いられてきた違いであろう。

 聖書学者はイエスに遡る祈りの原形は

「お父さん、お名前が聖められますように。あなたの国が来ますように」

と一息ついて

「我々の毎日のパンを今日も与えて欲しい」

というものであったであろう、という(田川建三『イエスという男』p.24、作品社 2004 第二版)。

 ユダヤ教の極度に形式化した祈りへの批判として祈られたと想像される。

 しかし、祈りは礼拝式文として用いられるうちに形を整えられ「父よ、み名が崇められますように、み国がきますように、われらの日毎の食物を今日与えてください。私どもに負債のある者を皆赦しますから、私どもの負債をも赦してください。私どもを試みにあわせないでください」と発展したに違いない。しかし、いずれにしても、この祈りの背後には、

「日毎の食物」に「今日」も事欠く庶民の生活……たえず「試み」にさいなまれている人々の矛盾に満ちた生活の現実がある。……このような現実の矛盾を持続的に認識しながらも、なおかつそれを、乗り超えねばならない地点がある。いわば矛盾多い現実を課題としてひき受け、勇気を付与する根源的力が求められる。その求めが祈りである。そこに祈る人にとっての神がいまし給う。(参照 荒井献『イエスとその時代』岩波新書 1974、 p.182-183 )。

 この祈りは、初めに「終末の接近」を間近に感じている人々によって祈られたであろうから、祈願の前提として「み国がきますように」という切なる願いが色濃くあったのである。

「み国」は「神の支配」(マタイでは「天国」)を意味する。

「み国をきたらせたまえ」という祈りは、この地上を生きる者が、地上の事を相対化しつつ、なお、それに真剣に関わって生きる、生の在りようを支える根源的力であろう。

 田中さんも絵を描きつつ常にその様な祈りを持っていたに違いない。

洋画家・田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ(2009.12-2010.9)

1.降誕

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