エリヤと鳥(2010 田中忠雄 ⑬)

2010.7.7、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ ⑬」

(明治学院教会牧師 健作さん76歳)

列王記上 17章1節−7節

選句「わたしは烏(からす)に命じて、そこであなたを養わせる」(17:4)

1.田中さんの絵「エリヤと烏」(32 x 41.2)は1968年に描かれた小さな作品です。個人蔵ですから、よほどの展覧会でもないと見られません。

(サイト記)テキストの「エリヤと烏」と上掲の「鴉に養われるエリヤ」が同一の作品かどうか不明。『図録』を取り寄せ中なので、いずれ判明する予定。同じものであれば、上記サイズは 8号(45.5 x 37.9)に訂正する。以下の引用文も同様。

 田中忠雄展の時には展示されました。その解説には以下のような説明がありました。

「エリヤは紀元前9世紀ごろにイスラエル王国で活躍した預言者です。彼は干ばつを預言したり、子供の命を救ったりします。ここでは、主の言葉の従って、干ばつの際川のほとりに隠れ住んだエリヤに、カラスが朝夕にパンと肉を運んだ話しが題材になっています。ナイフで大胆に塗り込まれた画中の青色や橙色が、鮮烈な印象を放ち、小品ながらも大変インパクトの強い作品となっています。」(『図録』p.107 小磯記念美術館 廣田生馬氏)。

 もともとエリヤのお話しは、荒削りな物語ですが、廣田さんの解説はそこをよく捕らえています。

2.預言者エリヤの物語は、旧約聖書の列王記上の17章から21章にあります。

 エリヤ。名は「神はヤハウェ」の意味。

 アハブ王と王妃イゼベルのバアル崇拝の政策を批判し、ヤハウェ信仰を守るためにバアルの預言者と対決(18章)し、また、ナボトの土地の王による接収を告発し、王朝の断絶を予告した(21章)預言者です。王と王妃は彼を弾圧します(19章)。その時のお話が、今日のテキストです。

 後々、預言者エリシャを弟子として、最後には生きたまま「火の戦車」に乗って天に昇ったとされています(列王記下2章)。新約聖書の随所に、エリヤは、洗礼者ヨハネやイエスの予型として出てきます。

3.この絵は、一見遠くからみると、黒く描かれた二人の人が向き合って話しあっているように見えます。神の使いであるカラスの存在がそれ程大きなものであったことを表しています。

 昔から図像的には「マントをまとった長い髪の老人」「大がらす」「バアルの神の預言者との戦い」(小磯良平はこの場面を描く)「天にあげられるエリヤ」など多数描かれてきました。この絵では、エリヤが両手を開いて、天に向けあたかも神の恵みを受けるようにカラスに対しているのが特徴にみえます。

「恵みは受けるもの」といったテーマでしょうか。

4.現代のゲリラ戦では、民衆がどちらにつくかが大変問題です。政府軍が圧倒的武力をもってしても、民衆を敵にまわせば、なかなか掃討出来ません。たとえば、ベトナム戦争ではゴ・ディン・ジエム政府はアメリカの傀儡でしたから、民衆は「解放戦線」側に味方しました。結局、アメリカは最新鋭兵器と50万の兵力でもってしても敗北しました。アフガニスタンでもきっと同じようなことがあるのだと思います。

 実は、エリヤの烏についても、アハブやイゼベルには従わない、辺境や国境の村で、エリヤが王から狙われていることを知っていて、エリヤを応援し、その隠れ家を提供した人々がいたのだ、と読む人があります。聖書学的根拠がある訳ではありませんが、極めて文学的な解釈です。烏はその人たちの象徴になっている。何かそこには真理が読まれているような気がします。

5.田中さんの作品について論評をした竹中正夫氏(聖和大学教授)は「聖書の出来事と現代の私たちのダブルイメージがある」(「メッセージとメッセージの交錯」『図録』p.7)と言っていますが、田中さんがこの絵を描いたのは、ベトナム戦争の最中でした。

 田中さんがそこまで読み込んでいたとは思いませんが、そんなことを私は思い浮かべます。

 この絵のエリヤは「空の鳥を見よ」のイエスを意識されたのではなかったか、と思い浮かべましたが、創作ノートにはそんなことは書いてありませんでした(以下『田中忠雄聖書画集』教文館 1978、p.111)。

洋画家・田中忠雄の聖書絵から聖書を学ぶ(2009.12-2010.9)

14.旧約による二つの主題

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