灯台もと暗し(2012 礼拝説教・アモス ②)

2012.8.26、明治学院教会(284)聖霊降臨節 ⑭

(単立明治学院教会牧師、健作さん79歳)

アモス 2:1-16、ローマ 2:1-5

1.

 アモスの預言は、イスラエルの支配階級の社会的不正と民族主義的傲慢を批判します。

 一貫した倫理性と普遍性に特徴がありますから、彼の活動の期間は短く、残された真正の言葉の数(書物の編集段階で弟子たちが挿入した箇所もある)は多くはありませんが、簡潔で力強い預言は、聖書の預言書では古典的意味と響きを持っていて、多くの人の心に残り、力を与えます。

2.

 1章から2章は、当時の諸国民への神の審判の宣告の箇所です。

 アラム[首都ダマスコ](アモス 1:3-5)、ペリシテ[首都ガザ](1:6-8)、フェニキア[首都ティルス](1:9-10)、エドム(1:11-12)、アンモン(1:13-15)、モアブ(2:1-3)、ユダ(2:4-5)の順番に出てきます。その最後に、アモスの自国、イスラエルの罪が取り上げられ(2:6-16)、最も厳しく批判されます。

 この構成は独特で、リズミカルな詩になっています。7つの国々は、地中海側の古い敵対関係のペリシテとフェニキアを除けば、東・北・南は元来イスラエルと先祖を共にする同胞諸国であり、常に平和的な友好関係が保たれるべき国々であります。

 それらの国への審きを「いい気味だ」ぐらいの他人事としている感覚に、実はイスラエルの傲慢があります。

3.

 アラムからユダに及ぶ7つの国の残酷極まりない国家犯罪が次々と指摘されています。

 文学的構成では、これは自国イスラエルの罪の指摘への「誘導」となっています。敵の野蛮と残酷に対して怒りを燃やそうとしていたイスラエルの聴衆・為政者は、突如それが我が身のこととして、犯罪が暴露されます(王ダビデに対する預言者ナタンの叱責の物語を思わせます。サムエル記下 12章参照)。

 旧約学者・木田献一氏は、イスラエルに関しては、① 契約に基づく同胞倫理の侵害、② ヤハウェ(主)に対する救済的導きに対する拒否、が罪の指摘として挙げられている、と言っています(『イスラエル予言者の職務と文学 ―アモスにおける予言文学の成立』木田献一、日本基督教団出版局 1976)。

 諸外国の罪は国際紛争に関わるものです。しかし、イスラエルの罪はヤハウェとの関係の裏切りの問題として指摘されています。ここが本書の目的です。

 彼らは選びの民であればこそ、彼らイスラエルに対する神の審判は厳しく、徹底したものだと語られます(アモス 2:13-16)。

4.

 現代の問題に翻訳すれば、核被爆国であればこそ、核廃絶(脱原発)に厳しくあるべきだというのに、その国が鈍感であることの罪に譬えられます。

 他国以上に核被爆国のモラルが厳しく問われるのです。

 当然のことが近すぎて分からないことを、諺では「灯台もと暗し」といいます。

「フクシマ」の事故では、ドイツは「原発ゼロ政策」に舵を切りました。

 日本でも民衆は8割が声を上げています。しかし為政者の鈍感さ頑なさは、アモスの時代の為政者を思わせます。

5.

 アモス 2章6−8節。靴一足の値段で人が売られています。驚くべき格差社会です。弱者、苦悩する者への理解はおろか、彼らは虐げられています。神殿娼婦の現実(エゼキエル 22:11)が情報化されます。貧しい者の衣服の質(出エジプト 22:25 日没までに返す)、担保の酒で神殿を汚すなど、相当に悪いことをやっています。神に仕えるナジル人や預言者までが買収されます。

 世の改革は難航します。だから、アモスの存在が希望なのです。

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