み言葉はわが足の灯(2011 礼拝説教・川和教会)

詩編 119編105−112節

2011.1.23、川和教会 礼拝

(明治学院教会牧師、健作さん77歳)

1.多くの人々に親しまれている詩編119編から学びます。

 律法(み言葉)を「道しるべ」「歩みを照らす灯(足の灯 − 口語訳)」として意識している所に注目したいと思います。

 体系的に「律法」の内容をまず教えるのではなく、ヘブル語のアルファベット(アレフ、ベト、…、シン、タウ)に沿って律法に親しむ方法を教えるのです。

 作者の詩人は、律法内容の複雑な解釈より、素朴なヤハウエ(主)信仰の精神の「実践的歩み」を強調します。

 主題である「律法」は8つの類義語で言い換えられます。

 言い換えることは、教義性よりも「思想性」を大事にしているということです。

「律法」「定め」「命令」「掟」「戒め」「裁き」「御言葉」「仰せ」。

 どの言葉にも「神の呼びかけ(他者性、神との関係)」を意識しています。

2.時代背景

 捕囚後(BC.537)、神殿では律法学者が律法の厳密な内容解釈を論議し始め、形式的ユダヤ教の萌芽が見え始める時代です。

 庶民に律法を「権威」として押しつけるのではなく、「歩む」「守る」「従う」「心を砕く」「望む」「楽しむ」「忘れない」「逸れない」という、方法を自覚させて身近なものとしたのです。

 庶民的「いろは歌」の形で「教え」を生活感覚で身につけさせます。

 内容は一人一人の把握に任せています。

 作者は支配者層に圧迫されている社会的弱者の立場に身を置いた人であろう、と言われています。

「いかに幸いなことでしょう。まったき道を踏み、主の律法に歩む人は(律法を厳密に唱えながら傲慢な者とは違うのです)」(詩編119:1は詩編1:1とは同じ意味内容)。

 律法を柔軟に「方法」として捉えることを教えているのです。

3.カーナビは便利だが、最後に役に立たなかった経験をしました。

 目的地への「道しるべ」ではなかったからです。鳥瞰図的ではあっても、虫瞰図的に導きはしないのです。「道の灯」ではないのです。詩編・コヘレト・箴言を想起しました。

4.『子どもと親が行きたくなる園』(監修:佐々木正美、共同執筆者:寺田信太郎(川和保育園園長)、すばる舎 2010)

「危険とは何か。危険に気付く感性のないこと(これが危険だとは考える以前の問題)」

 そこでは子供が危険に接して身を守る感覚を身につけることが大事です。

「学んだことの証しはただ一つで、何かが変わることである(林竹二)」

「児童は筋肉で学ぶ(及川平治)」

「自ら進んでやりたいという気持ちがいちばん大切」

 ここではまず何よりも「子どもの力」が信じられています。

 それは、子どもに接する保育者の生き方・方法です。方法あっての中身なのです。

5.信仰も方法を身に付けることが大事なのです。

 信仰生活の長い、老練な方が、日曜日の礼拝では「何か一つ受け取って帰ることにしている」と言っていました。

 たとえ若い説教者で、必ずしも修練が厚いわけではないとしても、それには左右されず、礼拝への出方・方法をしっかり持っておられる。

 その「方法」が逆に説教者をも支えているのだなと思った。

 方法を身につけた信仰者は長続きがします。長い目での成長があります。

(詩編 119:105-102、新共同訳)

 あなたの御言葉は、わたしの道の光
 わたしの歩みを照らす灯。
 わたしは誓ったことを果たします。
 あなたの正しい裁きを守ります。
 わたしは甚だしく卑しめられています。
 主よ、御言葉の通り 命を得させてください。
 わたしの口が進んでささげる祈りを 主よ、どうか受け入れ
 あなたの裁きを教えてください。
 わたしの魂は常にわたしの手に置かれています。
 それでも、あなたの律法を決して忘れません。
 主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。
 それでも、わたしはあなたの命令からそれません。
 あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です。
 それはわたしの心の喜びです。
 あなたの掟を行うことに心を傾け
 わたしはとこしえに従って行きます。

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