隠されている宝と高価な真珠の譬え(2008 聖書の集い)

2008.5.7 「福音書の中のイエスの譬え話」第16回
湘南とつかYMCA「聖書の集い」

(明治学院教会牧師 74歳)

マタイ13章44節−46節 「天の国」のたとえ 新共同訳

 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。」

(予告)このイエスの譬からは『あなた何を宝として生きていますか』という問いが聞こえてくるような気がする。現代の世界、そして私たちを覆っている価値観は新自由主義の経済的価値観だといってよい。そんな時代に「宝を発見する」喜びを語るこの譬えは、何か別な次元からの問いを含んでいないだろうか。

1.テーマは「宝」「真珠」発見の喜びと応答の決断。

2.二つは別々なお話、しかし共にオリエントの民間物語が用いられている。パレスチナは戦争が数百年にわたり、頻繁におこなわれた地域。恐ろしい危機に直面して貴重品を土に埋めて難を逃れる知恵があった。労働者が他人の畑で働いていて、耕作の牛が穴に落ち込んだのをきっかけに、隠された宝を見つけた。かれはそのまま隠し、畑の一部にしておく決断をし、まず宝の安全を確保し(強盗から守る)、その秘密を保ち、そしてその畑を買った。その機転。

3.真珠の話はトマス福音書76にある。「イエスは言った。父の国は、商品を持っていて、一つの真珠を見出だした商人に比べられる。この商人は賢かった。彼はその商品を売って、その真珠を買い取った」。「与格」で始まる譬え(……に似ている)。「商人(エンポロス)」は卸売、「小売り(カベーロス)」ではない。商人の決断の大きさを示す。

4.大貫隆(聖書学者)氏は「決断への呼びかけ」が主題だと言う。新約学者ドッドが今が「危機」「分かれ目」の時(カイロス)であることを示す譬えに入れたのと同じ。イエスは聴衆を決断へと促す呼びかけを作る。行為遂行的発言の最たるもの。イエスが譬えを語ることは、その場でそれは出来事になる。地上に神の国が実現していくのと平行している。

 この二つの譬えは、「神の国」がそれに出会った人間にとって、自分のすべての財産を売り払ってでも買い取るべき至上の価値であるという。いずれも千載一隅の好機を逸しないように、機敏に決断し、実行する「利」に聡い人間のイメージがある(危機への決断の譬え、タラントの譬え、不正な管理人、十人の乙女、など)。

5.エレミヤスの解説。決め手は「喜んで」最も価値あるものに没我的に身を委ねる。持ち物を投げ出すことが中心ではない。決心させた動機、発掘物のすばらしさに圧倒されたことである。神の国とはそのようなものである。

 荒井献氏は「マタイ教団を支えた中小有産階級の価値理念」を「天国」の話に仕立てて「イエスの口にいれた」ものと冷ややかな判断。

6.このイエスの譬から「あなたと神の国(関係としてのいのち)」への決断・応答を生きていますか、の問いかけがある。「神の国」は、決断によってこの世に働く。