海の彼方人あり

海の彼方人あり
高浜岸壁より中突堤(なかとってい)を望む。神戸市中央区にある、神戸港を代表する波止場の一つ。

神戸教會々報 No.126 所収、1990.3.18

(神戸教会牧師 健作さん56歳)

剣を取る者はみな、剣で滅びる マタイ 26:52


 真向うとまばゆい。装う女性のおももちを一瞬思いつつシャッターを切った。高浜岸壁からの神戸の風情である。左手はるかに市庁舎。中央に白亜のホテルオークラ。いずれも昨年の完成。好況日本はここにも。白帆を形どる海洋博物館、ワイン色のポートタワー、都市を過ぎる高速道路の画く線。くすんだ摩耶山系の緑こそ変わらないが、昔メリケン波止場と言われた時代とはまたうって変った中突堤のたたずまいである。


 中突堤に沖縄航路が開設されたのは、丁度神戸の造船界が富国強兵策の波で盛んになった頃だと聞く。その航路は海の彼方から人々を運んだ。今でも、宮本通りには沖永良部島(おきのえらぶじま)の人達、長田のタンク通りには徳之島の人達と一群の居住者が健在である。神戸の労働力の底辺を支えた人たちだ。作家灰谷健次郎氏は『太陽の子(てだのふぁー)』を神戸を舞台に書いたが、神戸と沖縄との繋がりは深い。


 この2月、日本基督教団兵庫教区沖縄交渉委員会が沖縄訪問を行った。私もメンバーの一人として参加した。昔なら中突堤から、2、3日かけての海の旅になろうが、今は伊丹から2時間である。暖冬だからだろうか、もう桜は散ってつつじが咲いていた。

本土との関係史を考えれば、沖縄への旅はいつも重い。今回も本土資本流入のもたらす島全体への自然破壊、米軍基地の島民の生活環境への侵略、沖縄地上戦の悲惨など、島の人々のうめきを聴く旅となった。もちろん島の教会の好意に支えられてのことだが。


 真和志(まわし)教会の西尾市郎牧師の同道を得て、中部東海岸の宜野座(ぎのざ)村漢那の漁業共同組合をたずねた。宜野座の海は、「宝の海」といわれるほど魚介類が多い。それは豊かなサンゴ礁があるからだ。しかし、ここ数年、土地改良事業、宅地開発、軍事基地拡張がすすみ、表土が裸になって赤土が流出、サンゴ礁に堆積してサンゴが苦しみ、海が死につつあるという。組合長さんのサンゴが苦しんでいるという言葉がいつまでも心に響いた。

 恩納村(おんなそん)に「米軍特殊部隊訓練基地建設及実弾演習反対恩納村実行委員会」をたずねた。恩納岳(標高363メートル)はふもとまですっぽり基地に占有されている。暗黙の了解だった水源地確保を侵しての重機導入強行に村民は体をはって怒り行動している。その様を伝える区長さんの顔はおだやかだった。「キリスト教の方たちですね」。人の繋がりは彼方から、との思いがよぎった。


 伊江島に渡った。1953年、農民の住居を焼き払うまでして基地拡張を行う米軍と「土地を守る会」との闘いの熾烈さは今も団結小屋になって残っている。阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんはその時の中心の人である。もう87歳だという。自宅の隣りに「反戦平和資料館・ヌチドゥタカラ(命どぅ宝)の家」を作り、米軍の弾丸をはじめ地上戦の歴史を語る品々を集めている。泊まっていた「土の宿」から朝出かけていくと、ばったりお逢いした。

「どちらから?」
「神戸の教会から」
と挨拶をすると、あたかも遺言でも語るように一語一語、反戦平和の根本を語り、壁に記された「すべて剣をとるものは剣にて亡ぶ」という言葉を指さして、若い人にこのことを教えて欲しいと言われた。

 その顔のしわは、イエスと共に苦難の意義を語り伝えているようであった。
 海の彼方人あり、その想いを一層深めた。