1995.3.5、神戸教会週報、復活前第6主日・受難節第1主日
(震災から47日目、ガスが復旧し礼拝堂での礼拝再開、ヨブ記再開)
▶️ 説教要旨
説教(1996書籍版)、 説教(2005書籍版)
(神戸教会牧師17年、牧会36年、健作さん61歳)
庭の雪柳のしなやかな芽が、ふっくらとして早春を告げています。
震災後、日を経るに従って、教会員・求道者の皆様には疲労の色濃い方々が多いと存じます。
この週は、とうとう私共も事務室の福島さんも、風邪でダウンしてしまいました。
また婦人会委員の方も風邪で、委員会も延期しました。
そんな中で水曜日の祈祷会は、私と青木伝道師と二人で、被災の夜を過ごす人のため、教会の信仰の炎の燃え上がらんことを、と祈りました。
この週も、被災地訪問で寄ってくださる方は絶えず、仙台の五味一牧師、北海道の宮島利光牧師、横浜の渡辺英俊牧師、名古屋の島しづ子牧師、奈良の斎藤成二牧師など、ある方は宿泊されてゆかれました。
いずみ幼稚園へは、福山東教会の鳥居牧師夫妻と会員の方が、子どもたちを励ますため「おさるの人形」のプレゼントをして下さいました。
オリックス招待で総合運動公園に出かけたり、卒園まで残り少ない日々を活発に楽しんでいます。
色々な方からお便りをいただいています。
避難所での生活で戦争経験者の芯の強さを再確認したこと、家の補修を始めてみると気が遠くなりそうなこと。
久しぶりに水道が出て、感極まったこと。
避難所生活をやっと脱して、仮住居に移れ、再出発の第一歩を喜んでいること。
疎開先で我が子が「いずみ幼稚園」仕込みの泥のお団子作りに余念がないこと、等々。
教団の方からは、担当委員の方たちが諸教会の問安、集った支援金の中から100万円を災害見舞いとして届けてくださいました。
教団の仮設住宅プロジェクトは、少々困難な壁にぶつかっています。
その一つは「サンデー毎日(1995年3月12日号)」に「関学で起きた『仮設住宅事件』」としてリポートされたような出来事があり、教団側が委員会の改組を余儀なくされたことなどです。
これを乗り越えて、当初の意図通り、行政との協力の中で進められる道が開けることを祈っています。
教会も年度末を迎え、新年度に向かって震災後の新しい活動に向けて踏み出してまいりたいと思っています。
青木伝道師とも話していたのですが、皆様の震災体験を会報の記録に残し、「地震なんかに負けないぞ」という意欲を後々に伝えていく編集など、会報部に頑張ってもらったらどうだろうか、等々、色々お互いに励まし合っていく手立てを考えていければとの思いを抱きます。
震災後、予定されていた結婚式は、4つも取りやめ、あるいは延期になりましたが、11日にはK君・Uさんの結婚式があります。
祈りのうちに祝福してあげてください。
(1995年3月5日 神戸教会週報 岩井健作記)