神は私の歩む道を知る(1995 礼拝説教・神戸 2005年版)

(サイト記)震災を挟んでの神戸教会でのヨブ記の学びが「藤村透さん・洋さん・ご家族」と共なる歩みであったことが、こちらのテキストではよくわかります。

(サイト記)『地の基震い動く時』96年版と2005年版ではテキストが異なります。こちらは2005年版になります。

説教 於神戸教会 1995年3月5日
震災から47日目、受難節第1主日
ガスが復旧し、礼拝堂での礼拝再開

(神戸教会牧師、神戸教会牧師17年、牧会37年、健作さん61歳)

ヨブ記 23:1-11

 地震以来、礼拝は(電気の復旧がまず行われたので)電気暖房が効く階下講堂で守ってきました。昨日も、階下の掃除をしたり、お花も活けて戴いたりして準備をしていました。それが、昨日夕方この地域のガスが急遽復旧しガス暖房が使えるようになったので、礼拝の会場変更をして久し振りに会堂で守ります。喜ばしいことです。でも、喜んでばかりはいられません。地震で亀裂の入った会堂塔屋部分の復旧の見積もりを業者が持ってきました。数千万円という素人の想像を遥かに超える金額です。役員会で検討して戴くわけですが、地震の被害の重さを改めてずっしり感じます。皆様の御宅もどんなにか復旧の負担を負っておられるかを想像いたしました。

 3月1日から教会歴は受難節(レント)です。今年のレントはさすがに重いという実感をまぬかれません。教会員・浅見敏子さんのご主人とご子息が家屋倒壊で亡くなったことは前にお話ししましたが、今日がお葬式だとのことです。神のお慰めを切にお祈りいたします。このところ、悲しいことや困難なことが多く、知らない間に手を合わせて祈ることが多いのですが、皆様もきっと祈りの手が生活の一部になっておられるだろうと思います。

 さて、今朝はヨブ記を読んで戴きました。地震が起きる前は礼拝でずっと続けてヨブ記を学んでいました。きっかけは1993年9月に発病し、一年余り急逝白血病で闘病をしてきた藤村透さんのことを思い、もう一度ヨブ記を読み直して見ようということでした。透さんは骨髄移植の展望も開け、名古屋赤十字病院に転院したのですが、急変、昨年12月31日、32歳で、天に召されてしまいました。

 ヨブ記は1月1日の19章で中断しています。そして地震です。でも、受難節を迎え、ヨブ記への促しを受け、続けることに致しました。はじめての方もおられますので、繰り返しになりますが、ヨブ記とは何か、に触れさせて戴きます。

 ヨブ記は旧約聖書の中の一つの書物です。ヨブという人物が、人生最大級の苦難に出会ったが、なお苦難の中で、神への信仰を全うした、という古い伝承物語を核として作られた、かなり長編の戯曲です。そこには宗教を利害や因果応報でしか考えなかった当時の通俗的神学への批判や、苦難をどうとらえるかという問題、人生の智慧とは何かということなど、深い宗教的思索が述べられている文学作品です。恐らくヨブ記の研究だけを人生のライフワークにしてもその思想の深さは極められないような内容を持っています。

 三人のヨブの友人とヨブとの宗教的対論、あるいは法廷弁論という形で、この戯曲は進められています。

 今朝読んでいただいた23章は友人エリファズへのヨブの反論の部分です。友人は「あなたが祈れば聞き入れられ」(「あなたが神に祈るならば、彼はあなたに聞かれる」22:27)と言います。祈りは聞かれる、というのが友人の信仰的確信です。その確信が間違っているというのではありません。でもそれをあたかも客観的真理のように、ヨブに言って聞かせるところに、宗教者の高踏的な押し付けがましさがあります。

 ヨブは「きょうもまた、わたしのつぶやきは激しく、彼の手はわたしの嘆きにかかわらず、重い」(ヨブ 32:2、口語訳)といいます。

 ヨブの体験していることは重い、ということです。

 財産を失い、家族を失い、そうして健康を極度に損ね、人から忌み嫌われる病に侵されています。そのうえ友人たちは彼の悩みの側に立たず「祈れ」と諫めるばかりです。「つぶやきは激しく」という言葉に試練の激しさがでています。だから「彼の手」すなわち「神の手は……重い」という意味です。

 ヨブは試練からの救いを求めて神を尋ねます。しかし、神の手が彼を撃つ、と言うのです。

「見よ、わたしが進んでも、彼を見ない。退いても、彼を認めることができない。左の方に尋ねて、会うことできない。右の方に向かっても、見ることができない」(ヨブ 23:8-9、新共同訳)

 といいます。

 ヨブ記には、神の見出せない嘆きが何箇所かあります(9:11、30:20)。

「神よ わたしはあなたに向かって叫んでいるのに あなたはお答えにならない」(ヨブ 30:20、新共同訳)

 神を尋ねても見出だせないことを「神の蝕」と言ったのはマルティン・ブーバー(ユダヤ教の哲学者)です。「蝕」。日蝕とか月蝕とかの蝕です。神が隠されてしまっている、ということです。彼はこう言っています。

「神へのおそれを前もって経験せずにおいて、直ちに愛から出発する者は、実は、自分の手で作り上げたある偶像を愛しているのである。だからこの場合に、それを愛することは、いともたやすいことであるが、しかし彼は真の神を愛しているのではない」。

 ここはなかなか厳しいところです。ヨブは絶望だと言いながら神を求めます。

 そして絶望します。でも神を求めることを辞めません。

 ヨブ記の中心をどこに見るかについて、日本でのヨブ記研究の先駆者である浅野順一氏は、13章15−16節をあげています。

「見よ、彼は(神は)わたしを殺すであろう。わたしは絶望だ。しかしなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう。これこそ救となる。神を信じない者は、神の前に出ることができないからだ」(ヨブ 13:15-16、口語訳)。

 隠された神に追いすがりつつ生きる

 それは浅野先生らしい、ヨブ記の捉え方です。

 実存的な生き方のプロセスそのものが、信仰者の姿なのだ。それを可能ならしめる神の強烈さに救いはゆだねられている。

 私たちの先輩がまだ見ぬものを目指して実存的に生き切っているということは大きな慰めです。教会というものはそういう先輩の生き方を継承しているところです。

 今日のテキストに戻ります。23章2節のところを新共同訳で読むと、口語訳とニュアンスが違います。

「今日も、わたしは苦しみ嘆き、呻きのために、わたしの手は重い」(ヨブ 23:2 新共同訳)

 ここでは「手」は神の手ではないのです。わたしの手です。

 古来、ここを「神の手」(七十七人訳、ルター訳、RSV)とするかどうかは議論の多いところです。中沢洽樹氏も「ヨブ記・中沢洽樹・新訳と訳註」(新教出版 1991)で法廷論争で「神の手がのしかかる」と言っています。

 これを「わたしの手」と解すると、これは祈りの姿を表しています。祈りのために揚げられた手です。嘆きの大きさにもかかわらず、重くかかげられている、という意味です。

 元来、原文は「わたしの手」と読むのが素直な読み方です。詩編77:3には

「苦難の襲うとき、わたしは主を求めます。夜、わたしの手は疲れも知らず差し出され」

 とあります。

 手を伸べて祈り続けたということです。旧約では「手を上げる」は祈りの基本姿勢です。出エジプト17:12にはモーセがアマレク人と闘った時、手を上げているうちは勝利したが、疲れて降ろすとアマレクが勝った。そこで弟子がモーセの手を支えた、という象徴的な話があります。今、私たちは手を上げて祈りはしません。むしろ手を組み合わせて祈ります。真剣に祈ると手に力が入り、汗がにじむことがあるでしょう。

 神が隠されているにもかかわらず、なお祈るヨブ。10節の言葉が身に染みます。

「しかし、神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ」(ヨブ 23:10、新共同訳)

 ヨブ記の深さはここにあります。

 地震では、私たちが自明だと思っていたことが根底から覆されました。「あの人はもういない」という悲しみから始まって、生活の立て直し、救援の手立て、途方にくれることばりです。死者数は5,578人、避難者数は20万6,720人と、先日発表されました。雑誌『週間金曜日』(2月3日号)には、早くも地震の後の行政の対応への根本的問題提起が載っています。

 本多勝一氏「阪神大震災 ー 弱者を襲った『差別的人災』としての」、早川和男氏「災害無防備都市・神戸はこうして作られた」。(「週刊金曜日」1995年2月3日号)

 その指摘は現場からみて当たっています。痛手の激しい者も、救援に心労する者も、被災地を心配してくださる方も、どうしたらよいか、だれかが教えてくれるわけではありません。

 自分にとって阪神淡路大震災は何であるのか、一人一人その問いの前にたじろぎます。

 ヨブ記を読んでいると、困難な旅の過程もすべて「神に向かって」という腹の座った突き進み方を感じます。ヨブのしたたかさです。

 地震の中でたくさんの困難に出会っても、なお生かされているということは、神が私の歩む道をご存じだということではないでしょうか。時にはつぶやきながらも、でも神に手を差し伸べて祈りつつ歩んで行きたいと思います。

 祈りの手は、私たちの意思を示し、優しさを示し、連帯を示すものであることを、心に刻んで、この週、自覚的な祈りの手を作り出してゆきたいと思います。

 祈ります。

 神様、たくさんの難しいことが、震災後の生活にはあります。あなたの、みこころのあるところを、祈り、求め、歩むことを得させてください。アーメン。

神は私の歩む道を知る 95.3.5 (96年版)