日誌・雑録(1997 週報・2月)

1997.2.23、神戸教会
復活前第5主日・受難節第2主日 礼拝週報

(神戸教会牧師19年目、牧会38年、健作さん63歳)

《この日の説教》
ルカによる福音書 11:14-23 「論争」岩井健作


(1997年)
2月11日(火)

 兵庫教区クリスチャンセンターで「人間性の復権を求めて〜獄窓から見た国家」と題し、教区社会部の集会が行われた。

 弁護士・下村忠利さん(Aさんの身元引き受け人)、Aさん(12年間服役した後、塗装工)、牧師・向井武子さん(死刑囚と養子縁組をして救援活動をしている)のそれぞれの発題は、私たちの知らない刑務所内部でいかに人間性が虐げられているかを知らしめた。

”牢にいたとき訪ねてくれた”(マタイ 25:36)

 この言葉の切実さを思った。

 死刑廃止の運動、司法の独立性など、そしてそれらと天皇制との関わりにつき、考えるべき課題を与えられた。


”だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。”(ルカ 13:33、新共同訳)

2月12日(水)、13日(木)

 婦人会委員会、家庭集会では、続けて聖書日課テキストを学んだ。

「エルサレムに向かうイエス」 ルカ 13:22-30(新共同訳見出「狭い戸口」)

「エルサレムへの嘆き」 ルカ 13:31-35(新共同訳見出「エルサレムのために嘆く」)

 受難の地エルサレムに「今日も、明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない(ルカ 13:33)」といって旅するイエスの姿を心に刻むところにレント(受難節)のメッセージを読む。



2月14日(金)

 神戸教会いずみ幼稚園の生活発表会。

「金のがちょう」「三匹のくま」「かにむかし」

 それぞれの劇遊びは、いつまでも子どもの心に残るであろう。

 卒園児のI君が、聖和大学の幼児教育科に進学するとのこと、嬉しい話だ。


2月16日(日)

 豊中教会(大阪府豊中市)応援。

 礼拝形式の中、招詞(まねきの言葉)を会衆が唱えるところ、献金は献げる前に祈りがあるところ、報告の次に「交わり」の時間があり、牧師による新来会者等の紹介の後、座席の左右前後の人と短い挨拶を交わすところなど、印象に残った。

 伝道説教は「今、豊かさとは何か ー イエスと共に生きる」(ルカ 15:4)。

 99匹がその閉鎖性を破って、1匹の負う課題から問われ、連帯するところに、現代の情報化・消費化社会の偽りの豊かさを破る生き方があることを語った。

 イエスはそこを十字架の死と復活への歩みを通して示された。

 午後は豊中教会社会部主催の集会で「神戸の心と沖縄の心」と題して発題させていただいた。

 被災の現実は、住宅・仕事・健康などの落差と意識格差を広げ、立ち上がれない層を作りつつある。

 これは、沖縄が琉球処分以来、負わされてきた課題と重なるのではないか。

 特に、今90歳を過ぎて、反戦地主に課せられた「重課税取消訴訟」に取り組む、阿波根昌鴻さんの生き方を学んだ。


2月17日(月)

 兵庫教区宣教委員会。

 北海教区設立の「アイヌ情報センター」の必然性とアイヌ民族の権利回復につき、後藤聡牧師より学んだ。

(1997年2月23日 神戸教会週報掲載 
岩井健作)

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