「福音と世界」1997年4月号 所収 新教出版社、
冊子「被災地の一隅から」所収
(神戸教会牧師19年目、牧会38年、健作さん63歳)
被災地にいながら、ともすると意識が被災の深刻な苦悩から遠ざかり勝ちになっている自分に気がつき、恐れを覚える日々である。
地震2年目の数字の意味を読みとる感性を鈍らせてはならない、と自戒している。
死者6425人、家屋全壊17万8174世帯、半壊25万7404世帯。
公設仮設住宅入居世帯 3万7241(約6万6千人)。
待機所5ヶ所30世帯、旧避難所(公園等)13ヶ所85世帯。
仮設での「孤独死」123人(1月22日現在)、県外被災者(住民票移動からの推計)約5万5千人(以上は、1月16日 神戸新聞等による)。
生活再建の面で、住宅、仕事、収入、健康等の被災者間の格差は大きくなっている。
例えば「孤独死」とは警察が仮設で関わった死亡者のことだが、地震後の様々なストレスで亡くなった方は数に入らない。
神戸市は仮設戸別訪問や郵送調査の結果「孤独死、早急要対応者」の数を658人と認定している。
住宅については仮設入居者の7割が「転居の目処が立たない(内60代以上が6割)」という(神戸新聞 1月18日)。
筆者は日本基督教団「阪神大震災」救援活動センター運営委員会の委員でもあるので、当面の支援・救援活動を素描しておきたい。
① 兵庫県被災者連絡会への連帯・支援活動
12月15日、神戸市役所前で数千名が参加して「地震年越しまつり」が行われ、「人間らしく生きるための正当な要求」がまとめられるなど、被災者の最低限の声が出された。教団はオブザーバーを送り連携をとっている。
特に、「連絡会」に参加する須磨区下中島公園北自治会(田中健吾会長、応急私設仮設8戸)に集会所用にと教団のプレハブ建物2戸を西宮から移動し支援した。
「しんげんち」集会所と命名され、近くの公設仮設300戸の人たちとの交流・相談機能を果たしている(NHK神戸 1月18日夜放映)。
② 「神戸の冬を支える会」(村田稔代表)
現在約300名の路上生活者がいるが、教団兵庫教区は社会部(佃真人委員長)を中心に働きに参加している。
③ 「日本キリスト教団西宮ボランティアセンター」(西澤他喜衛委員長)
専従の金得三牧師が531地区を同伴訪問者(68名)と共に訪問、3198人の仮設居住者と面談。
不安、窮状、行政への要望などを聴き、「まつり」等の激励集会に参加している。
④ お米支援(兵庫教区地震対策委員会係 岩井健作)
全国の教会より献金108件、180万2302円、米券526キロ、米現物1019キロが寄せられ、被災者連絡会、ボランティアセンター、教区長田活動センターを通じ、必要な低所得被災者に配布し継続中。
⑤ 「緊急生活援助貸付金を取り扱う特別委員会」(新免貢代表)
既報(96年11月号本誌)の活動を継続中。
現在貸付金準備高319万468円。
続いて地震2年、筆者の関わった行事につき記しておきたい。
▶️ 集会の案内(週報)
1月14日(火)「1.17メモリアルコンサート」(於神戸教会)
北九州聖楽研究会(メンバーの多数がキリスト者)とアンサンブル神戸のボランティア奉仕により、死を越えて希望を、とヘンデル・メサイアの全曲の演奏が行われた(NHK 神戸 1月18日の朝ニュースで放映)。
被災で小・中学生の甥・姪の死去を経験したテノールとソプラノの西垣俊朗・千賀子夫妻、フルートの矢野正浩氏、そして神戸教会との不思議な出会いがこの催しの背後にはあった。
1月16日(木)「大地震子ども追悼コンサート ぼくのこと まちのこと きみのこと」(於朝日ホール)
513名の亡くなった子どもたちの名簿が作られて当日配布された。
菅澤邦明氏の選んだ『タゴール詩集・幼な子の歌』から「別れ」の詩が会場で朗読された時は、500人近くの参集者のあちこちで涙をそっとぬぐう姿がみられた。
集まった子どもも大人も、作詞・作曲・演奏者のクニ河内氏新作の震災追悼の歌を波のうねりのように繰り返し歌った。
ぼくのこと
ぼくだけのこと
あのときを
しっている
おもいだしてる
わすれないで
わすれないで
(作詞:クニ河内)
このコンサートは地震の年のクリスマス、日本基督教団教育委員会の呼びかけで献げられた全国教会学校の献金も用いられ行われた。
新沢としひこ氏がおはこの「せかいじゅうのこどもたちが」を手拍子に合わせて舞台いっぱいに行進しながら歌う会場の湧く場面を、全国の教会学校の子どもたちにとどけられたなら、との思いにかられた。(「サンケイ」1月17日報道)。
1月17日(金)「全逝去者記念礼拝」(於神戸教会)
全国、近畿諸教会から約250人が参加。
西澤他喜衛牧師の「光、遥かに ー 朝を待つ」の説教、阿部恩氏の「永遠なる安らぎ(ヘンデル)」等の独唱があった。
被災後、またぞろ「死」を忘れた文化が頭をもたげている時、もはやその様な文化に力を持たせてはならないとの叫びをあげる役割を宗教は担っている。
「わたしの記念(アナムネーシス=思い起こすこと)として」(ルカ22:19)とイエスが語ることに基づいた礼拝が守られることは被災地における教会の立脚点であろう。
幾多の困難を乗り越え、奇蹟のように、全壊の「芦屋三条教会」は会堂を献堂した。
献堂式の感動は、被災地からの貴重な情報である。
情報化社会の情報は基本的に三種類に分けられるという。
(見田宗介『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』岩波新書 1996.10、p.152)
第一は認識情報。
第二は行動情報。
第三は美としての情報(充足情報、歓びとしての情報)。
被災地の一隅ならではの情報把握を大切にしていきたい。
特に、第三の「歓びとしての情報」を温めて非被災地に伝えていきたい。
被災地の一隅から(その1)(1995 3月)
被災地の一隅から(その2)(1995 9月)
被災地の一隅から(その3)(1996 震災から1年8ヶ月)
被災地の一隅から(その4)(1997 震災から2年)
この冊子をお読み下さる皆様へ(1996 震災から1年10ヶ月)