被災地の一隅から(その3)(1996 震災から1年8ヶ月)

「福音と世界」1996年11月号 所収 新教出版社、
冊子「被災地の一隅から」所収

(震災から1年8ヶ月、神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん63歳)


 兵庫県警の発表によれば、仮設住宅で検視をした孤独死が100名を越えた(朝日新聞 9月10日)。

 50代・60代の男性が半数。自殺者も5人含まれる。

 仕事がない、アルコールに依存する、粗末な食事、絶望して部屋に閉じこもり勝ち。

「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」世話人の医師・梁勝則氏が状況を分析する。

 人口8万人といえば一つの独立した市町村だ。それが1年8ヶ月目の、仮設入居者数(4万世帯)である。

 被災地の一隅にいてさえ、その意味の深刻さが捉え切れない。ましてマスメディアの情報ルートを閉ざされた非被災地では、と心が痛む。


 人と人との関わりの温かみを伝えたい、と兵庫県被災者連絡会(河村宗次郎代表)が、今春来、毎月米2千キロを、困窮の被災者に配布したい、ついては真宗大谷派と日本基督教団兵庫教区(以下「教区」)に協力してもらえないかとのことで、教区は月200キロを約束した。教区の発信に応えて全国諸教会諸氏よりの支援が続いている。

 昨年9月より同じく大谷派・日本基督教団・市民グループ・被災者団体の四者で始められた「緊急生活援助貸付金を取り扱う特別委員会」(新免貢代表)は、この9月11日、445世帯に各1万円ずつ、第5次の貸付を行った。

 浄財は51団体62個人から寄せられた1700万円。今日までに約1600余世帯に貸付がなされた。被災地で宗教が、教義・儀礼・制度としてではなく、活きた働きとして共存することの意義は大きい。そしてこの営みは、個人補償はしないという政府・行政への問題提起を含んでいる。生活支援は今後行政の大きな課題であろう。

 しかし被災地の最重要な問題は住宅である。全壊・全焼が18万8060戸。政府・行政は今3万8600戸の公的恒久住宅建設の計画を発表している。

 問題は、数の絶対的不足だけではない。行政の計画に、人の住む元の街の回復という考えのないことだ。都心は30倍、郊外は応募者なしが実態である。各地の「まちづくり協議会」の抗議にもかかわらず、聴く耳なしの強引さが住民を絶望に陥れている。


 野田正彰著『わが街ー東灘区森南町の人々』(文藝春秋刊 1996.7)は、神戸市のむごい都市計画に対峙してこの一年を生きぬいた人々についてのすぐれたルポである。

 著名な文化精神医学・比較文明論専攻の医師である著者は、流麗な文章で、この街の人々との交流史を綴っている。この地区は住民3390人のうち78人が亡くなった。

 行政の計画に人々は心底怒り、連帯して代案を作り、市に見直しを迫っている。そのエネルギーはどこから来るのか。

 野田氏はリーダーとなっている呉服商の加賀さん、曹洞宗・向栄寺住職の岡本さんたちの深い悲しみにその源泉をみている。共に大切な孫たちを一瞬にして失っているのだ。幼子を助けることの出来なかった無力感と自責の念が、逆に残された者を、人の温かみのある街作りへと向かわしめている、という。


 日本基督教団の阪神・淡路大震災救援活動センターは、ごく初期に地域への関わりを、街づくりとしての応急仮設住居の提供に重点をおいた。後、委員として筆者もこの考えを継承している。

 行政の「収容」に等しい公的仮設に対して、人が助け合って元の地域に住むことの大切さを「思想」として投げかけたことは確かだ。

 数ヶ所、58戸は象徴行為にすぎないかも知れぬ。しかし、行政に真正面から向かい合って、「仮設」は住民の繋がりによる街づくりであるべきだ、通勤・通学・通院・互助を破壊する遠隔地の巨大集合仮設であるべきではないと主張している被災者の運動に連帯している事実は重い。

 今、他で使われなくなった教団のミニハウス2棟を、須磨区下中島公園北自治会(田中健吾代表)の要請で、同所の多目的集会所として移設し、この地区の支援が始められている。ここには8世帯の人々がコンテナハウスを借りて公園に置き、住んでいるが、近くの公設仮設5ヶ所約300世帯との連帯が進められている。


 やがて、地震2回目の1月17日を迎える。

 地震で亡くなった子どもたちを記念して「くに河内・新沢としひこによる子ども音楽会」と「記念礼拝」が教区「特設委員会」(北里秀郎委員長)で計画されている。

 5480人の死者の8.7%が0歳から10代までだとすると476人になる。

 新聞の死亡者名簿で6歳以下の子の名を拾ってみた。147名だ。

 この子らにまつわる無念と自責の家族の物語は想像を絶する。私はこの不条理の死を思ううちに、イエスが「神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)という時、単に子どもの存在が示す永遠性という、これまでの理解の観念性を打ち砕かれた。

 不条理の死(イエスの十字架の死を示唆しつつ)の悲しみなしでは、神の国の永遠性が語られてはならないことを知らされた。

「地震」を未曾有の人災にまでした「大人の価値観」(戦後民主主義の空洞化、政治・行政の腐敗、人間不在の経済主義等々)を鋭く問う、死の彼方の子どもの存在が示す価値観が、被災地の黎明を告げている。


 終わりに、「教会」を思う方々のために被災の教会について。

 神田裕神父(カトリック鷹取教会)は「会堂が壊れて教会は真の教会になった」と名言を残し、地域活動に励まれているが、それはあの拠点を支える厳とした全体教会あってのことだと思う。

 プロテスタントが基本的に自主自立であることはまた目ざましい。教区内13の全壊教会は、それぞれに歩み始めている。

 神戸雲内(くもち)教会は献堂を終えた。しかしどの教会も資金が苦しい。第30回日本基督教団総会で計られる全体教会の支援と連帯の実りを期待することは切である。

 雑多な報告に、被災地の現在をお察しいただければ望外の喜びである。



被災地の一隅から(その1)(1995 3月)
被災地の一隅から(その2)(1995 9月)
被災地の一隅から(その3)(1996 震災から1年8ヶ月)
被災地の一隅から(その4)(1997 震災から2年)
この冊子をお読み下さる皆様へ(1996 震災から1年10ヶ月)