1996.9.10(火)、京都・同志社神学協議会 開会礼拝説教、
冊子「被災地の一隅から」(1996)所収
(震災から1年8ヶ月、神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん63歳)
(前を読む)
地震で亡くなった方は5480人(関連死含めて6279人)と一応されています。その他にもたくさんいます。
その中でも、将来のある子供の死は特に不条理の死を思わせます。
子供の死が問うていることは多面です。
道夫くんのお父さんにお逢いしたとき「倒れたのは古い木造住宅が多かった、そこに住まねばならなかった住宅環境の悪さが悔やまれる」と言っておられました。
「子どもの権利条約」の視点から問われる問題もありましょう。
そういう意味では、大人の自責の念を、現実社会のむごさを変革していくという途方もない課題に具体的に繋げていくのも問いの一つです。
被災者・支援者を含めて、被災地ではこの課題がずっと取り組まれています。
不条理の死を、死の重さとして「死を起点とする文化のあり方」を尋ねることも課題です。
私は多くの子供の死に直面し、イエスの<神の国はこのような者たちのものである>という言葉をもう一度読み返しました。
”イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。”(マルコによる福音書 10:13-16、新共同訳)
このような者たちを、今までは「こども」の存在が示す永遠性と理解していました。
しかし、地震後、その永遠性は死を含めてあるのだという理解に変わりました。
そんな「こども」たちの存在が迫ってくることを覚えます。
それは、イエスの十字架に極まる死を含んだ「こども」の重みです。
死んだ子供の重みを負って生きることが、価値観の転換を手探りし続けつつ生きることだと思っています。
被災地にいると、行政や権力のむごさを問うことは途方もなく重いことです。でもそれ抜きでは、もう生きられないところに来ています。
「大志は1才6ヶ月でした」という、家の下敷きで失われた子への思いを綴った上仲まさみさんという方の文章を読みました(『大震災・市民編 1995』長征社 1996)。
末尾の部分を読みます。地震をかいくぐり悲しいことがいっぱい綴ってある最後です。大志はこどもの名前です。
“わたしはこの先、どんなことがあっても悲観しません。
大志を通して、神さまの大きなふところを知ったかもしれません。へんに楽観的です。
なんとかならないものはなにもない。そういう思いで生きています。
そして、いつの日か、わたしという存在を通して、大志が、この世に生まれてきた意味を、外に向けて発せられる時がくることを祈っているのですが……。”
(『大震災・市民編 1995』長征社 1996)
これに重ね合わせるならば、いつか亡くなった子供たちが、そしてイエスが、世に生まれてきた意味を、外に向けて発せられる時がくることを祈りつつ、生きることが私たちのつとめだと思います。
地震後を生きることの意味をそこに見出しています。
祈ります。
天の父なる神。
戦争で、貧困で、災害で、不条理な中に失われていった子供たちが世界中におります。
その子らとの関わりのなかで、私たちの鈍い心が、すべての存在を包むあなたの愛へと澄まされていくように私たちを導いて下さい。
主イエスの名によって祈ります。