被災地の一隅から(その2) 1995.9

「福音と世界」1995年10月号 所収 新教出版社、冊子「被災地の一隅から」所収

(健作さん62歳、震災から7ヶ月、牧会37年目、神戸教会牧師17年目)

「住むこと」の視座

 8月はじめ、わずかの休暇を神戸で過したいとボランティアを志願して下さったTさんから手紙を戴いた。

「そこで出会ったお年寄りの方々とわずかなふれ合いから、実に多くのことを学ばせて頂きました。高齢者の方中心の仮設であったため、初対面でも私を、入居者の皆様が暖かく迎えて下さったことが本当に恵まれておりました。そのなかで、いくつか心に残っていることを書かせていただきます。

 一つは、高齢であっても、なお先の生活をどう立てていこうかと思案し、踏み出そうという前向きな姿勢をお持ちの方が何人もおられたことです。戦争の体験、戦後の生活、家族、連れ合いとの別れなど……一通りの山や谷を越えてきた上に、この震災で生活も、築き上げたものもひっくり返され、その悔しさ、痛み、不安はどれ程大きなことかと思います。その中から、立ち直っていこうとする力強さに、私の方が励まされます。

 そして一方、今までの積み重ねを失ってしまい、すっかりふさぎ込んでしまっている人もいらっしゃいました。

『毎日、どう過してよいのかわからない』
『前はおかずを作っていたのにね……できなくなったし、やる気がないのよ』
という声を聞きます。仮設の四畳半の部屋のドアを半開きにして、ぼんやり私の方を見ておられるので話しかけた時、そう言われたのです。

 このような明暗とも言えるギャップは町全体にも言えると思います。仮設住宅(T仮設は高齢者・「身障者」用の地域型で炊事場、トイレ、風呂は共用……筆者注)の作られたのは住宅街の中の公園。すぐ目の前で、向うの一戸建ての住人の男性が洗車しているのが見えます。暗の立場に立たされてしまう人々が、ますますとり残されていくような気がして、心が痛みます。」

 Tさんの目に映った明・暗は被災地の深部を象徴していると言えるだろう。

 人はそれぞれの人生観・価値観をもって生きている。極限の状況でさえも、明・暗は必ずしも状況に左右されるものではない。聖書が告げる「真理」は、状況からヨブを「究極のもの」へと関わらしめた。状況の良し悪しが即、人の明・暗ではない。そこをおさえた上で、なお地震がもたらした明・暗はこの数ヶ月の間に確実にこの地に住む人々の生活、そして心身に深く食い入って進行しつつあることは間違いない。

 今、その全体を論じる力量は私にはない。しかし、地震からの立ち上がりの遅い人たちが多く社会的弱者に属していることは認めざるを得ない。

「なぜ立ち上がれぬ震災被災者」(「朝日新聞」8月2日)の表題で論じている酒井道雄氏(大阪工大講師)は、現状のPTSD(災害後ストレス症候群)の増加、仮設における孤独死、震災関係自殺者にふれた後、立ち上がりへの無気力の一面を、行政の救済施策の欠如、特に公的義捐金、見舞金の低さにその一因のあることを指摘している。しばしば「奥尻島や島原なみに」という声が聞かれる。地震被災者の分母の大きさがそれを許さなかったのは誰しも認めるところである。ちなみに、島原では全壊(焼)家屋に、県と市から450万円、加えて新築・中古住宅購入には500万円の助成配分があったという。奥尻島もそのレベルであった。阪神の場合は、家屋全半壊(焼)の世帯に義捐金から一世帯当たり10万、県と市から見舞金、全壊14万円、半壊7万円が加えられたのみである。ある程度の貯えがあるか、若くて返済能力と計画あっての借入金でもない限り、住居を含めて生活再建は仲々難しい。神戸・東京弁護士会、学者、財界人らの「無償供与的な救済」「贈与金」の提唱は当然であろう。関西経営者協会の三好俊夫会長(松下電工会長)らが、国が被災者生活に約2兆円、被災商工企業に1兆円、あわせて3兆円の資金を準備すべきこと、政府は国債発行、行革、公共事業の抜本的組み替え、さらには「法人臨時特別税」による復興資金のねん出を提案していることなどにふれている。酒井論文は、「人」の立ち上がりを促すことのない国の政策批判である。

 神戸市に限って見れば、市当局が目ざす復興は、市街地の面的整備と言える。50年前の「戦災復興計画」の延長線上での土地区画整理方式による事業の再撰択である。(「『戦後』と重なる神戸復興」神戸新聞 8月10日)。学校やテント村の避難者の応急仮設住居すらも目処が立たないうちに、何故、六甲山を削ってその地下に「六甲シンフォニーホール」を作るという案を復興計画に盛らねばならないのか。先端的な土木技術による開発行政を文化にまで押しつけ「市民の声は聞く、しかし議論はさせない」という都市経営手法を今日まで許してしまった神戸市民とは「私」をも含めて何であったのかを、今深く考えざるを得ない。神戸市文化指針検討委員会の一員である島田誠氏(元町通り、海文堂書店主)は、市民が主体となり行政がバックアップする社会システムの確立によらなければ、神戸の芸術文化都市としてのアイデンティティーのないことを訴えている(『神戸発阪神大震災以後』酒井道雄編、岩波新書 p.220)が、遅ればせにしても意味のあることである。

 元気を出さざるを得ないのは、もう落ちようもなく腹を据えた人たちである。8月15日現在、市内231ヶ所の避難所に9200名の人がいる。市当局は仮設住宅を一応数だけ建てた。7月末、最後の募集を行った。しかし遠隔地の仮設は3000戸が空いている。通勤、商売、通院、通学のこと、何よりも今日まで助け合ってきた人間関係、共同生活が、仮設応募を促さないという(神戸新聞 8月16日)。一次居住(テント、半壊住居)から二次居住(公営仮設、私的応急仮設)へ、そして永住(公営・民間賃貸住宅、持ち家再建)へと目処が無ければ動けないというのが本音であろう。特に都心下町は、職・住一体の街に人の心の通いが息づいている。面的整備の行政理念に、人生を奪われたくないという人情が伝わってくる。納得のゆくまではテント村で、という人たちは、行政を糺さんとする貴重な「神戸市民」である。カトリック教会が「私的応急仮設」を提供し、日本基督教団に事務所本部プレハブ提供の申し出があった「南駒栄公園テント村」を訪問したが、地震は緊急事態を一歩も出ていないとの実感を強く持った。住人は、生活的には限界状況にありながら、心はきわめて元気である。

本町公園の仮設住宅と子供

 過去の神戸市は住民との形式的「参加と対話」(笹山幸俊市長)をかかげつつも、行政に追随する一部自治会・町内会や特別団体を取り込み、少数の専門技術家集団(テクノクラート)に行政企画を依拠し、いわゆる住民運動などの批判的意見を排除しようとしてきた。現在いくつもの住民訴訟が続けられている。「過去のまちづくりのあり方への真摯な反省を欠いたままの拙速の復興が、将来再び”幻想都市”の再来につながらないか、危惧を覚えざるを得ない」(中田作成「行政を変えるー市民のまちづくりへ」前掲書 p.232)との警告には、耳を傾けるべきものがある。中田氏はその論考を「我、山に向かいて目を上ぐ。わが助けはいずこより来るや」(詩編 123)をもって結んでいる。

「棄民」への助けは、神に依り頼む他ない心境が伝わって来るが、私も同感を禁じ得ない。「棄民」となり果てかねない人たち、神戸の都市づくりへの逆説的協力者である人たちへの連帯を、神戸の再建の基底に礎えることを志していきたい。被災地の一隅での心境である。日本基督教団は試行錯誤しながらも、震災被災者の「住むこと」の視座に、宣教を重ね合わせて来ていることを信じる。行政強行の避難所閉鎖という新たなる「災害」を産み出さんとする8月20日が近づいている。祈りと支援、そして助言を乞う次第である。