1995.9.3、神戸教会週報、聖霊降臨節第14主日
(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん62歳)
マタイによる福音書 8:5-13、説教「故郷の信心」
”さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。”(マタイ 8:5-8、新共同訳)
イエスはどこに住んでいたのであろうか。
ヨハネから洗礼を受けるまではナザレに住んでいた(マルコ 1:9)。
それ以後の宣教活動はガリラヤ地方を転々としていたのであろうが、ほぼ定住に近いほどに拠点としたのは、カファルナウム(カペナウム)であったと思われる。
その事を特に強調するのは、マタイ福音書である。
マタイ福音書9章1節では「自分の町に帰って来られ」(新共同訳は「入られると」)となっている。
”イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。”(マタイによる福音書 9:1-2、新共同訳)
マタイ福音書4章13節は「ナザレを離れ……カファルナウムに来て住まわれた」とある。
”イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。”(マタイによる福音書 4:12-13、新共同訳)
カファルナウムとはどんな街であろうか。
ガリラヤ湖の北西岸、今は観光名所になっているヨルダン川が同湖に注ぎ込む川口から西へ4キロの地点に位置し、弟子ペトロとアンデレの故郷でもあった(マルコ 1:21、1:29)。
”一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。”(マルコによる福音書 1:21、新共同訳)
”すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。”(マルコによる福音書 1:29-30、新共同訳)
カファルナウムは、ヘロデ家の二つの分封領土の中間に位する国境駐屯部隊の所在地であった。
百人隊(警備軍の一単位)がいたのも、そのため出会った。
街は、生粋のイスラエル・ユダヤ人住民が多く、ユダヤ教の伝統的な習慣が守られていた。
このことは、政策上ギリシア(ヘレニズム)化された近隣の街ティベリアスなどに比べると、かなり様相を異にしていた。
本日、朗読されたマタイ8章5〜13節「百人隊長の僕(しもべ)をいやす」物語は、ルカ福音書7章1〜10節、ヨハネ福音書4章43〜54節に並行物語がある。
元来は、イエスの語録資料(Q資料)に保たれていたものであろう。
マタイが、この物語を引用するポイントは、イエスの奇跡能力にあるのではなく、伝統的ユダヤ教の街で、多くの人の信仰が形骸化してしまっている中で、百人隊長(ユダヤ人ではなく異邦人)の熱心で謙虚な信仰を強調するところにある。
百人隊長は、異邦人としての立場をわきまえ、イエスを迎え入れる資格がないという、その街の宗教や慣習に対する謙虚さを示す。
また、軍務における言葉の権威の性質を、人生のあり方に転化する洞察力を持っている。
マタイは福音の受容の姿を、この異邦人に際立たせている。
イエスが第何番目かの故郷とされたカファルナウムの街には、色々な信心のタイプがあったであろう。
その中で「わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(マタイ 8:10)とのイエスの言葉に注目したい。
”イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕(しもべ)の病気はいやされた。”(マタイ 8:10、新共同訳)
神戸の街を故郷とする者も、色々の信心に接している。
百人隊長のごとき存在は必ずいる。
目を注ぎたい。
(1995年9月3日 神戸教会礼拝説教要旨 岩井健作)