牧会祈祷(1981 神戸教会永眠者記念礼拝)

1981年11月1日 神戸教会礼拝「牧会祈祷」原稿

(神戸教会牧師4年、健作さん48歳)

全能の父なる神

 あなたの招きの許、私ども、今この会堂に集い、それぞれの思いと祈りをたずさえて共に礼拝の場に加えられましたことを感謝し、み名を讃美いたします。

 今、私どもは、心静かに一週の自らの歩みを省みています。あなたの恵みに応えて、みこころに従うものであることを目指しながら、気がついたところでも、さらに気づかぬところでも、愛と思いやりのないゆえに傷つけた人々、勇気と希望に欠けていたゆえに、実践できなかった社会へのかかわりの不足を、あなたのみ顔の光の中でゆるして下さい。

 主よ、本日は、召天者記念礼拝を守らんとしています。この1年の間に、教会の肢たる兄弟姉妹のうち7人の者がみ許に召されました。それぞれあなたの導きのうちに走るべき道のりを走り、その生涯に加えられました恵みを感謝いたします。思い新たにこの日を迎え、ここに集うそれぞれの遺族の上に、上よりの御慰めを切に祈ります。

 私どもは、礼拝のたびごとに「あまつみたみも、ちにあるものも、…神をたたえよ」(讃美歌544)と頌栄を讃美しますが、この日、教会の長い歴史の中でそれぞれの時代の証し・伝道・教会形成を精一杯に負った信仰の先達たちを覚えます。そして、その遺族と共に、今礼拝を守っています。どうか「生くるうれし、死ぬるもよし、主にあるわが身の、さちはひとし」(讃美歌361 3節)と歌いつつ、歴史を貫いて立つ主の体なる教会のつながりの信仰を固くすることができますよう導いて下さい。

 本日、私どもは敬愛する児玉浩次郎先生を通してみことばを聴かんとしています。みたまを豊かに注ぎ、語る先生を祝福し、また聴く者すべての心を主のみことばへと開かしめて下さい。また午後に行われます墓園での記念式の上に恵みを注いで下さい。

 父なる神、この時、病の床にある者、また親しき者の死別の悲しみにある者を省みて下さい。果たすべき役割、務めのために礼拝に集い得ない者、また遠くの地にあって祈りを共にする者たちを、一人一人省みて下さい。また私どもの礼拝が、遠く近くにある教会の礼拝と祈りを共にする礼拝であるよう導いて下さい。抑圧の中にある教会、民衆の貧しさの中にあって重い使命を負う教会、無牧の教会の祈りに繋がらせて下さい。これらの祈りをここに集う者の祈りと共に、主イエスのみ名により捧げます。

(1981年11月1日 神戸教会礼拝
「牧会祈祷」岩井健作)



祈祷

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