人にできなくて神にできること(1976)

1976年7月18日 岩国教会週報「先週の説教より」
マタイ19:16-26

だれが救われることができるのだろう。(マタイ16:25)

 清鈴園の老人がリハビリテーション(技能回復訓練)をするように、信仰生活にも常にそれが必要であろう。富める青年の物語は、結局青年は求めつつもイエスのもとを去っていくのだが、それでも登場人物として彼に対するイエスのまなざしはリハビリテーションを促すような「いつくしみ(マルコ10:21)」と優しさとを基調にもつ物語である。青年の求め方には一途さがある。けれども「永遠の生命を得よう(16節)」とする。イエスは「求めよ、そうすれば与えられるであろう(マタイ7:7)」と云われた。完全主義、理想追求型の人間には、自ら到達可能とする限りにおいて、「"救い"は結局与えられるものである」という質点転換点がない。彼には悩みを共に悩むといった友人はいなかったであろう。求めることにおいて強い人間になることは人にできることであるが、十字架を負い他者と共に悩むことは神にできることに属する。神にできることを「与えられて」生きることが"救い"ではないだろうか。貧しい人々が何故いるのかという問いを、自分で獲得した富を与えるという行為を通して、単に同情でなく、歴史の不条理として受け取り始めたとき、神にできることの領域に生き始めることができる。悩みを負うように召されているところを離れてはならない。

(1976年7月11日 岩国教会説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「教会学校夏期学校のために」
 本日説教者:蛯江紀雄兄(壮年会・清鈴園園長)
 岩井牧師は今治教会にて応援説教。
 亀の里委員会 19日(月)
 教区常任常置委員会 20日(火)
 岩国幼稚園終園式 20日(火)
 牧師在宅日 20日(火)
 祈祷会・聖書研究会 21日(水)
 
(日韓問題)
韓国では教会そのものに対する朴政権による新しい弾圧が起こっています。6月17日までにキリスト教協議会の首都圏特殊地域宣教委員会(スラム伝道)のメンバー16人が共産主義者であるというレッテルで逮捕されています。「韓国通信9号」を社会部が回覧していますのでご覧ください。(お願い)現在実施中の署名にご協力願います。国際世論が大事な時です。民主化闘争支援の為のカンパにつきましてもご協力願います。


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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