忘れないで、あの死のことを(2007 礼拝説教)

2007.7.15、 明治学院教会 礼拝説教(81)

列王記上21章1-16節/マルコ15章25-32節

明治学院教会牧師 73歳

1.今日は旧約聖書の「ナボトのぶどう畑」のお話です。ナボトは「貴族」の一人でした。王アハブは「お前のぶどう畑を譲ってくれ。宮殿の隣なので、菜園にしたい。……代償は十分する」と持ち掛けます。しかし、ナボトは嗣業の土地は「主」にかけて譲れないと断ります。「嗣業」とは「神からの賜物」です。土地所有はイスラエルの自由農民の権利でした。王は落胆。悪役・バアル神の礼拝の立役者、王妃イゼベルが登場し、神と王を呪った罪をデッチあげ、町の長老・貴族を使って、ナボトを謀殺します。権力支配の構造が見えます。土地は王のものとなります。何ともやりきれない話です。預言者エリヤが、アハブとイゼベルへの神の裁きを携えて登場します。しかし、ナボトの命は不帰です。凄い不条理の死を覚えます。

2.M・L・キング牧師は「もし肉体の死が、私の白人兄弟姉妹を、精神の永遠の死から自由にするために私が支払わねばならない値であるとすれば、これ以上贖罪的なことはない」と犠牲になった黒人の少女の死を語る文脈で自らが暗殺されることを予感しているように語ります。それはイエス自身の「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ 10:45)に繋がります。

3.贖罪信仰は「イエスが十字架の死によって我々の罪をあがなった」を固定的な観念として信じることではありません。イエスの生涯と振る舞いの中心的な出来事が歴史の不条理の死の意味を解き明かしているメッセージであることにおいて意味を持ちます。ナボトも歴史の一人です。

4.「ぼくのこと/ぼくだけのこと/あのときを/しっている/おもいだしている/わすれないで/わすれないで」。

 阪神・淡路大地震でなくなった方たち6,433人、特に514名の子供を覚えて歌い続けている作詞・作曲・演奏・独唱家・クニ河内さんの歌です。物語は死者一人一人の「ぼくだけのこと」です。「わすれないで」は、この物語を繰り返し繰り返し語るということ、 この人達の死の事実と意味を心に刻むことです。

 贖罪は、過去の「無辜の死」の意義付けが目的ではありません。不当に受ける苦難にある人達の苦難に共に与かること、「情熱的に隣人の苦悩に関わる真摯さ」への促しにあります。このような死の積み重なりの上に歴史は築かれています。

 祈ります。現代の不条理な多くの人達の死を覚えつつ。