1970年6月28日 岩国教会週報
「先週説教より」コリント第一 13:1-7
(岩国教会牧師5年目、健作さん36歳)
コリント第一13章は『愛の讃歌』として親しまれている箇所である。流れるようなリズムに乗って言葉の選択も美しい。しかし、コリント第一12〜14章のメインテーマ「霊の賜物」の流れの中で読むときに、その真意を掴むことができる。霊の賜物について、12章は賜物の多様性と交わりに於ける一致が、全体を見通す立場から述べられているのに比べて、13章は個々人が自らの賜物(異言・預言・信仰・施与・献身【1節より】)を活かす規準がなんであるかを語っている。賜物は個々人の特徴として十分発揮されて良いし、またしなければならないが、それが愛によって支えられている限り、活きるのである。そして、愛とは、相手が活かされ、力づけられ、励まされていることに他ならない。もし、愛がないなら……無益なのである(3節)。ここで注目したいのは、愛とは、何かをすることと我々は考えがちだが、そうではなく、むしろ自分の賜物を相手のために、抑え、コントロールする働きとして存在するということである。自動車の仕組みに例えるなら、スピードを抑えるブレーキの役割だろう。ブレーキの効かぬ車は暴走するが、また逆に、走らない車にはブレーキの働きもそもそも不要である。つまり、愛は、車が走る時のような状態の中にこそ存在する。危険、不安、スピードを伴って働く。故に、愛は一つの定義づけを許さない(4-7節)。我々も愛の働く場を見失うまい。
(1970年6月21日 岩国教会 岩井健作)


