2005.8.15 発表誌不明(明治学院教会牧師 健作さん72歳)
『靖国問題』(ちくま新書 2005.4)を読んだ。
著者・高橋哲哉氏がわざわざ「靖国の英霊」(「基督教新報」1944年4月11日)全文を引用して(136頁)プロテスタントが国家の「祭教分離(神社非宗教化)」の狡知に呑まれたことを「無惨である」と評している。
へブル書9章14節の「キリストの犠牲の血」が「英霊の犠牲の血」の精神的意義に共通するゆえにキリスト者は殉国の良心にたぎるものであることを説いた美文である。
「教義」が状況では如何ようにも用いられる恐ろしさを覚える。
「教義」は「聖書本文」と同じように歴史批判の文脈で扱われねばならないと思う。
「説教(使信、宣教、福音、証詞、証言ともいう)」の語り手の自戒としたい。それは同時にメッセージの比喩、文学(物語)、思想、芸術表現との互換性への修練を促す。
それにしても、かの文は誰が綴ったのであろうか。(岩井健作)