賜物の発見(1970)

1970年6月21日 岩国教会週報
「先週説教より」コリント第一 12:4-11

(岩国教会牧師5年目、健作さん36歳)

 原始教会の特色の一つは、その宗教的情熱でありました。コリント教会でも異常な情熱の表れである活動が、超自然的な「霊の賜物」と信じられ、例えば「異言を語る」ことが集会を混乱に陥れるようなことがあったので、指導者パウロは、この手紙の11〜14章の中で「霊の賜物」について丁寧に語っています。

 まず、霊の働きは、表面に表れた熱狂と異常さによるのではなく「イエスは主である」と告白ができること、それ自体のうちにある、と言われていることに注目したいと思います。この信仰告白の特徴は、第一に、たいへん意志的であることです。それは「イエスはのろわれよ」とか「皇帝は主である」という当時のユダヤ教や国家宗教の在り方に流されない在り方の表明ですから。第二に「一致を促す」告白であることです。他の在り方を非難しなければ自分の在り方が定まらない、即ち他を縛ることで同じ土俵を作ろうとするのに対して、この告白は自己の在り方を厳しく規定することによって他に関わろうとする在り方ですから、相手の自由を媒介としての関わりを可能にしています。だから、統一ではなく「一致を促す」在り方です。他を攻撃しなければ(悪口を言うとか)自分の存在が危うくなるような在り方は、どこか偽物の匂いがします。

 さて、コリント第一12章4〜11節は、この土台の上で各人の持っている「賜物の違い」(個性・役割・機能等)の多様性を認めよ、というのですが、中心点は、賜物の違いは始めから在るのではなく、「全体の益」(7節)の中で「発見される」ものだということです。こんなところに各人への慰めの言葉が見出されます。

(1970年6月14日 岩国教会 岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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