十字架を担がせられたシモン(2014 信徒講壇 ①・十字架)

2014.4.13、明治学院教会(信徒講壇 ①)受難節 ⑥

日本基督教団教師(前神戸教会牧師、前川和教会代務牧師)、
(会衆派の伝統で信徒籍を併せ持つ)単立明治学院教会 教会員(2014.4-2016.3)、
前・単立明治学院教会牧師(2005.9-2014.3)、80歳

マルコ15:21-32(マタイ27:32-42、ルカ23:26-43)、箴言 19:21

兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。(マルコによる福音書 15:21、新共同訳) 

マルコによる福音書 15章21-24節(新共同訳)

 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴダという所ーその意味は「されこうべの場所」ーに連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った。だれが何を取るかくじ引きで決めてから。

1.「キレネ人シモン」が強いて十字架を担がせられたという話は、それぞれの福音書でニュアンスが異なる。

 十字架刑はギリシャ・ローマ世界では最も野蛮で残酷な処刑方法であった。死刑の手順にはある種の基準があり、処刑に先立つ鞭打ち、刑場まで柱を自分で運び、両手を広げて釘付けにされ、高くあげられるものであった。

 刑吏の気紛れのサディズムさえ発揮される事があったらしい。この刑は政治的・軍事的処罰であり、ローマでは下層民・奴隷・暴力犯・反乱をおこしたユダヤ州の不穏分子に対する処罰であった。

「すべての死刑の方法で最も悲惨であった」(ヨセフス『戦記』)と言われた。

「無理に(マルコ 15:21)」(アッガレウオー)は公用を強いるの意味である。昔のペルシャ国王の騎馬伝令使(アッガロス)からの派生語。彼らは途上、馬でも船でも強いて使用する職権を持っていた。

 キレネは北アフリカのキカイナの首府、ギリシャ植民地中で最大の都市の一つであった。紀元前4世紀からユダヤ人が住み始めたという(キレネへの言及は「使徒言行録」2:10、6:9、13:1)。

「田舎(原語は郊外、畑とも訳せる)から出て来て(マルコ 15:21)」とは、祭りの巡礼にきたか、あるいは偶然かも知れない。

「アレクサンドロとルフォス(ロマ16:13)の父(マルコ 15:21)」とあるが、当時の読者には意味があったのであろう。ルカは十字架を「背負わせた(エピティテミー、上におく)」を用いるが、マルコは「自分の十字架を背負って・担いで(アイロー)」(マルコ 8:34)と同じ言葉を用い、イエスに従うことの神学的意味を一貫させている。

2.シモンの負った十字架は、表面的には、刑の執行を早く済ませたい実務型の刑吏と目が合った偶然に過ぎない。

 しかし、マルコは言外に、シモンのようには弟子たちは直接にイエスの十字架を担がなかったこと、「弟子の無理解というマルコの主張」をほのめかす。

 自分の意志とは別な「神の計画(箴言19:21)」という意味をも含ませている。

「無理に(マタイは踏襲)」はルカには無い。ルカは主語を「人々」とする物語にしているので、シモンは受難物語の一つの風景でしかない。

 しかし、マルコはイエスの処刑死という出来事に、自分のスケジュール表にない予定外の「十字架を担ぐ」ことが起こることの証しとして、シモンを登場させている。

3.この物語にまつわるエピソード。

① 鶴見俊輔「自分の主題の発見には、道草が一番だ」。

 シモンも好奇心から人だかりを覗きイエスの十字架を負う羽目になった。彼の人生では道草だったかも知れない。しかし、彼の名を今私たちは覚えている。

② 神戸教会伝道師だったTさん。

 クリスマスのために「重い樅の木を六甲山系の山から切り出し、市内の教会まで担ぎ降りる」という彼の人生にとっては偶然の出来事に、キレネのシモンを心に刻んだという。

 後々この事は彼の牧会生活に深い意味を持ったと言う。

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