1970年4月26日 岩国教会週報
「先週説教より」マルコ10:42-44、エペソ1:20-23
(岩国教会牧師5年目、健作さん36歳)
原爆孤老の為のホームが広島県と市によって建設された。入居者50の定員に200名もが申し込んだという。民間による施設が早くできることを痛感させる。原爆孤老の寝たきり老人のための特別養護老人ホーム「清鈴園」建設への期待は大きい。私たちの教会も昨年この運動のためにかなりの協力が出来たことは嬉しい(3月末時点26万円余)。「清鈴園」建設には、私たちには私たちの側なりの論理、思想がある。例えば、これは愛の業であるとか、病める者への連帯であるとか、平和への証しであるとか等々。しかし、この運動にとって、私たちが忘れてはならないことがある。それは二神氏が「福音と世界」誌4月号で指摘しているように「我々は孤老ホーム建設の精神や、そのことへの洞察の深さよりも、被爆孤老の存在がもっとも重いことを……強調したいと思う」と言われていることである。私たちは、建前は人に「仕えている」と言いながら、知らぬ間に自分が心理的満足を得たり、相手を支配したりして「仕えられている」関係になっていることがある。マルコ10章42節以下、イエスは「仕える人」になれと弟子たちを戒めている。仕える人か仕えられる人かの区別は、『あがない』という相手側のための犠牲が具体的に払われているかどうかによる。イエスは自分の命を『あがない』として捧げられた。この事実の重さの前に謙虚になることが私たちの行動の原点である。
(1970年4月19日 岩国教会 岩井健作)


