あるエチオピア人の洗礼(2012 礼拝説教)

2012.2.19、 明治学院教会 礼拝説教(264)

使徒言行録 8章26節-40節

明治学院教会牧師 78歳

 今日のお話は、エチオピアの高官がフィリポから洗礼を受ける物語です。大変よくまとまったお話です。使徒言行録の著者であるルカは、すでに語り継がれてきた伝承としてこのお話を知っていて、彼の大きな著作「使徒言行録」の資料として用いました。もともとこの伝承はフィリポの伝道活動を生き生きと語り伝えているものでした。起承転結のはっきりした物語です。ガザ地方の人たちが語り伝えたと思われますが、語る人々もいきいきとして語ったのだと思います。

 ここにエチオピアとあるのは、今のエチオピアではなく現代のスーダンに当たる地方だと言われています。登場する高官は多分、公用でエルサレムに来たのではないかと思われます。彼はユダヤ人ではないが「神を畏れるもの」と言われたユダヤ教の同調者でありました。なぜならエルサレムでは異邦人が入れなかった神殿に入って礼拝をしています。27節の「エルサレムに礼拝に来て」は、神殿に入って礼拝したことを意味しています。来る時はたぶん公的な仕事のための緊張があったと思われますが、帰りは少し気楽だったのでしょう。馬車の轍(わだち)の軽快な音に心をくつろがせていました。持参していた巻きものの聖書を広げて時間を過ごしていました。読んでいた場所がなぜイザヤ書なのか、そのあたりの事は一切省略されています。だが、1人の人が真剣に「聖書」を読むには、それなりの理由があります。きっとこの人にもそれなりの心の秘密があったと思われます。この高官は以前からイザヤ書を読んでいたと思われます。イザヤ書の53章には「苦難の僕(しもべ)の歌」が記されていて、彼の心に深い印象を残していたのだと思います。

 このイザヤ書の「僕の歌」は、初代教会が「イエスとは誰か」という問いを解く、一番中心にしていた箇所です。「主の使いによって」高官の馬車に寄り添うように馬車を走らせたフィリポに聞こえて来たのは「苦難の僕の歌の第4の歌」でした。「分かりますか」との問いに「解き明かす人がなければ分かりません」と答えた高官の馬車に乗り移って、フィリポは、その箇所が十字架の受難と死を経て復活し、天に挙げられたイエスの事だと解き明かします。

 それでは、フィリポとはどのような人でしょうか。彼は「使徒言行録」6章5節以下に登場します。そこには初期エルサレム教会の内紛が記されています。その内紛の解決のために選ばれた7人の執事の一人がフィリポです。当時エルサレムの教会には、へブル語を使うユダヤ人とギリシア語を使うユダヤ人がいました。ギリシア語はコイネーと言うローマ帝国の共通語でした。教会のもめごとは、発端は日々の食料の配給のことなのですが、その背景は教会内の事だけではありませんでした。ローマ帝国支配の下での政治・言語・文化政策の必然的結果でありました。民族の帰属意識の違いなどがあったのです。例えば、日本でも日本語しか使えない若い在日朝鮮人と民族主義的感覚の強い朝鮮人の間の問題を想像してみると、複雑な問題があります。それと似たようなものでした。フィリポはその間に立って苦労を重ねた教会の指導者です。決してイエスの福音を型にはまったメッセージとして持ち廻る、外廻りの格好のよい伝道者ではありませんでした。イザヤ書53章の「苦難」の意味を、自分の体験を通して身に沁みて分かっている伝道者でした。そこからイエスの生涯と振舞いと言葉を理解している人でした。心のうちにイエスの生き方に従う決心を抱き、身をもって実践している伝道者でした。

 高官も「女王の全財産の管理をしていた」(27節)とありますから、結構苦労を知っていました。宦官は去勢した男子のことで、古代では女帝や皇帝のハーレムに遣える侍従長に採用されていた人です。宮廷内部の複雑な人間関係をいや程経験していました。だからこそ「エルサレム巡礼」をして「魂の救済」を求めていたのであろうと想像されます。

「苦難の僕」がイエスの人格に示されていること、十字架の出来事によってそれをリアルに実感した時、そこに「神の救済」があると心に刻んだのは、初代教会のイエスの弟子たちでした。彼らはそこに繋がる「しるし」として洗礼を考えていました。バプテスマのヨハネが「悔い改めの洗礼」を迫ったことも、エルサレムに起こったナザレのイエスの集団が「神の恵みのしるし」としての洗礼を大事にしていたことも、この高官は聞いて知っていたと思われます。

 著者は、イザヤ書を引用するとき「苦難の僕」が多くの者たちへの代理の死であること、つまり贖罪死であるとの描写の箇所(53章4-5節、11-12節)を注意深く省いています。それについて使徒言行録の日本での研究の第一人者・荒井献さんは「ルカにとって人間の罪の赦しは、イエスの死にではなく、その復活と高挙に(使徒言行録 5:31)、特にイエス(の名)に対する信仰(10:43、13:38、26:18)、イエスの名による洗礼(2:38)と結びついている」と言っています。ここでも「救済」は「洗礼」に結び付いているのです。

 今、手にしている「新共同訳」には、37節が欠落しています。使徒言行録の巻末(272ページ)に、その箇所が出ています。この箇所は翻訳の「校訂本」本文には入らなかったけれど、異本には入っています。これは「使徒言行録」よりも新しい、教会の洗礼式の式文と思われます。異本は後代に付け加えられたものです。ルカは「主の霊」が導くという全体の流れの中で、洗礼を位置づけています。

 37節の告白文(272ページ)「イエス・キリストは神の子であることを信じます」はかなり後代に整った式文を反映していると思われます。最古の告白定式は新約聖書の中に多数保存されています。「あなたこそキリストです」(マルコ 8:9)「イエスは主である」(第一コリ 12:3)「イエス・キリストは主である」(ピリピ 2:11)。これはやがて、イエスから、神を含んだ2項目、聖霊を含んだ3項目(三位一体)へ、そしてやがては「使徒信条」へと結実してゆきます。私たちは、イエスをイザヤ53章で理解し、そこに「神の救済」を信じるという素朴さに、キリスト者の原型を見たいと思います。言葉による信仰告白はいずれにせよ、人生のある時期のポートレート(肖像写真)の様なものであります。告白は人生のある瞬間の姿です。告白が条件で洗礼があるのではありません。泉か池の水のあるところで彼の洗礼が行われます。「浸礼」だったであろうと思われます。

 39節「主の霊がフィリポを連れさった」は、26節の「主の天使はフィリポに……言った。」と対になっています。ルカ文書(ルカと言行録は一つの書物)の特徴は、文書全体を貫く「救済史観」にあります。「神(あるいは聖霊)」が歴史の主役で、全てを導いてい行くという考え方です。その反映はこの物語にもあります。そこが根本にあるものだから、物語にスピード感があります。「洗礼」の物語は、人間の心の内面や、それに至る心理的経過や時間的経過を物語れば、紆余曲折を含めて際限のない長いお話になります。だが、すべの人はイエスの出来事を通して「神に」受け入れられているのだ、という「救いの出来事」の追認であれば、物語は簡潔になります。「洗礼」はあれやこれやと人間の物語である前に、「神の出来事」「神の招きの出来事」であるといえば、とやかく言うその底に、「神の簡潔さ」があります。この「高官の洗礼物語」にはその簡潔さが滲んでいます。人間の側の主体の表現としての「洗礼」はその出来事の一部にすぎないのではないでしょうか。

「お前はなんで洗礼を受けたんや」と友人に聞かれて「牧師の子でねー」と答えたら「そうね」で納得してくれます。実は、僕の主体的決心を話すと長いのですが、結局それはどうでもよいのです。「神の出来事」なのですから。

 第二次大戦後活躍した婦人活動家・平和運動家・心理学者の高良とみさんは、女学生の時、神戸教会で洗礼を受けました。「下関へと向かう家族と別れて女学校の寄宿舎に入りました。そしてこれを機に洗礼を受ける事にしました。……おかげでちょっとも寂しくありませんでした」。

 みな「洗礼」の物語を持っています。洗礼を受けている人も、受けていない人も自分の物語を大切にしたいと思います。只、それが「神の出来事」である点では簡潔な物語です。

祈り

 主よ、洗礼を受けた者も、受けていない者も等しく恵みに与っています。それぞれその恵みに相応しく生きることが出来ますように。洗礼を巡ってそれぞれが賜っている物語を大切にすることができますように、導いて下さい。主イエスの名によって祈ります。

アーメン。

(サイト記)テキスト表記は「ピリポ」ですが、新共同訳に倣って「フィリポ」としました。