お手紙(2016 書簡)

2016.3.2(水)執筆(一部表記を◯で伏せています)

(日本基督教団教師、健作さん82歳)

◯◯様

拝啓 暖冬とはいえ寒さ厳しい季節が続いています。

 下村牧師からの連絡で奥様◯様の御訃報に接し、ただただ驚いております。何と言ってお慰めしたらよいか、言葉も見つけることもできない思いです。心から御哀悼申し上げ、天来のお慰めをお祈りいたします。

 ご夫妻お二人がお揃いで教会の礼拝にご出席下さり、私の「説教」をことのほか御熱心にお聞き下さったことを思い起こし改めて感謝いたします。信濃町教会の◯牧師とのお交わりに続けて、私どもともお交わり戴き、私どもにとっても忘れ難い、豊かな人生の出会いでした。

 ◯◯さんのお計らいで、家庭集会をさせて戴いた頃のお姿がまざまざと心に浮かびます。 地上のお別れである御葬儀は◯◯家の習わしで仏教でなされたと伺いましたが、御家族・御親族・親しい方々の一番自然な「お送り」と存じております。どうかその習わしに従い、末永く記念されるようにと念じております。

 これからの◯さん御自身の人生の歩みは本当にお寂しい日々とお察しいたしますが、奥様とお過ごしになられた多くの日々の思い出を温め、「天上の」奥さまと心の対話をしつつ掛け替えのない「地上の」歩みを全うされますようにとお祈りしています。

 聖書の言葉に「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書 12:24)という言葉があります。

 聖書テキストの文脈からは勿論イエスのことを意味しているのですが、ある意味ではどの方についても言えることだと思います。奥様は亡くなられたけれども、その死を通して、今まで身近な者にも気が付かなかった「命の実」を結んでおられることと存じます。どうか、その「命の実」に応える意味でも、お元気を出して日々をお過ごし下さい。

 私どもについてはお聞き及びかとは存じますが、群馬県榛名山の裾野にある社会福祉法人「新生会」(キリスト教系)の老人施設に入居いたしました。広大な土地に、有料老人ホームから、介護付き・特別養護など10施設があります。「死ぬまで面倒を見る」というのがモットーです。理事長とは深いご縁があり、10年前から、講演など頼まれたりしていました。

▶️ 榛名山の裾野にて(2016 書簡・高崎)

「俺もこんな所に入りたいな」と言ったら申し込んでも数年はかかるとのこと。「早く申し込んでおきなさい」とのことで申し込んでいたら3年目で我々の入れるクラスのタイプが急に空いたとの連絡を受け急遽入居しました。明治学院教会へは月一回説教の応援に出かけてきました。この3月13日(日)が最後になります。天来の御慰めを切に祈りつつ。

2016年3月2日

岩井健作・溢子

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