一つの挫折《イザヤ 52:13-53:12》(1989 説教要旨)

1989年8月13日、聖霊降臨節第14主日
(当日の神戸教会週報に掲載)

(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん56歳)

イザヤ書 52:13-53:12、説教題「一つの挫折」岩井健作

”彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。”(イザヤ書 53:8、口語訳)


 今朝朗読されたイザヤ書52章13節〜53章12節は、折々礼拝で交読文(39番)として読まれている箇所です。

 《苦難の僕(しもべ)の歌》と呼ばれる、聖書では有名な箇所です。

 皆さんはここをお読みになって、どのように感じておられるでしょうか。

 私は、昔からどうしても十字架を負ってゴルゴタの丘へ向かう受難のイエスの姿が、イメージとして重なり合ってしまいます。

 キリスト教徒にとっては、そのことが拭いきれないのでしょうか。

 でも、内容の深刻さをそのままにして、作詩の年代を考えてみると、それは紀元前538年前後です。

 その時代の歴史的文脈で味わうのが、まずは「聖書を読む」あるいは「聖書に聴く」という姿勢として大切ではないでしょうか。


 イザヤ書の40章〜55章の部分は「第二イザヤ」といって、イスラエル民族がバビロン捕囚(BC587-538)からペルシア王キュロス2世にによって解放されて、故国再建の幻を抱いて帰還する時期の預言集です。

 その預言者の名は知られていないので「第二イザヤ」と呼ばれています。

 さて、この《苦難の僕》とは誰か、という問いは聖書学でも永遠の謎のように論議されてきました。

 最近、木田献一氏(立教大学教授)が大胆な仮説を発表しました。

 それによると《苦難の僕》はイスラエルを帰還に導いたリーダーで、セシバザル(エズラ 1:8他、歴代志 3:17のセナザルと同一人物)という名の人だというのです。

 帰還の民は、解放令を出したキュロス2世の自治権回復の範囲をはるかに超える政治的独立を主張し始めたため、サマリア行政府の許容せざるところとなり、結局、指導者(セシバザル)が民族に代わって一人犠牲になることで、民族は潰滅(かいめつ)を免れたという説です。

 彼の「死」は民族の「罪責」を負うものとなったが、当局を憚って、その死の意味づけは謎めいた表現でしか表せなかった。

 しかし預言者・第二イザヤは、その死を、民族が長年待望してきた理想の牧者《僕(しもべ)》の死として深化させた…。木田仮説を要約するとこうなります。

 歴史的文脈での捉え方としては傾聴すべきです。


 指導者の死は、民族の一つの挫折です。

 しかし、それを内面化し、思想化し、神学化したのが、第二イザヤです。

 聖書の示す歴史はこのように、転生・深化していくのだ、これは新しい時代の始まりなのだ、ということを覚えさせられないでしょうか。

(1989年8月13日 説教要旨 岩井健作)


1989年 説教・週報・等々
(神戸教会11〜12年目)

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