レビヤタンと平和《詩篇 104:24-30》(1989 説教要旨・平和聖日)

1989年8月6日、聖霊降臨節第13主日・平和聖日
(当日の神戸教会週報に掲載)

(牧会31年、神戸教会牧師12年、健作さん56歳)

詩篇 104:24-30、説教題「レビヤタンと平和」岩井健作

”あなたが造られたレビヤタンはその中に戯れる”(詩篇 104:26、口語訳)


 ”レビヤタン”という海の怪獣をご存知ですか。

 ”べへモット”という陸の怪獣と一緒に旧約聖書ヨブ記40章15節〜41章26節の箇所をはじめ、各所に登場します。

 口語訳は「わに」と「かば」と意訳してしまっているので、凄みが消えていますが、共同訳はそのままの名を記しています。


 最近、東北大学法学部教授で政治思想史専攻の宮田光雄氏が同志社大学から神学博士を授与された副論文の一つに『平和のハトとリヴァイアサン – 聖書的象徴と現代政治』(岩波書店 1988)というのがあります。

 ”リヴァイアサン”というのは、”レビヤタン”の英語読みです。

 神戸教会きっての読書家M兄が、同論文を含む同表題の岩波書店刊行の本を図書部に寄贈くださいました。


 宮田光雄氏の論文によれば、”レビヤタン”解釈は4つにまとめられています。

① 自然的主義的な解釈
② 神話的解釈:原始の混沌と人格化、神の支配に叛逆する危険な怪物(イザヤ 27:1、詩篇 74:14等)
③ 黙示録的、形而上学的解釈:絶対的悪魔、反キリスト、宗教改革者ルターはローマ教皇を”レビヤタン”と呼んだ。
④ 深層心理学的解釈:人間の深層を支配する、攻撃・悪・死の力の象徴として考える。

 宮田論文は、”レビヤタン”を政治思想史的な文脈で辿り、古典的名著であるトマス・ホッブスの政治哲学書『リヴァイアサン』(1651)を紹介、更にこの怪獣の図像を「全体国家=ファシズム」と重ねて論じる。

 更に”現代のリヴァイアサン”について、哲学者フランツ・フォネッセンを紹介、「もっぱら物質的なものに向けられた人間の地上的衝動」の制度化だとしている。

 人間が環境を諸生命の連関で捉え得なくなっている無責任性との戦いが、神の《被造的連帯性》の中で「汝は神の似姿」との招きを受けた者の、つまりキリスト教社会倫理の基本的視座ーというのが論旨です。


 ”レビヤタン”は聖書の中では恐ろしく重い存在です。

 それは現代の人間の内と外を囲む状況、特に被抑圧、被差別、独裁的政治、力と経済優先の文明等々の醸し出す影の部分と重なります。

 ところが、詩篇104篇26節に登場する”レビヤタン”は、もはや世界のあるべき秩序を脅かす存在ではありません。

 宮田氏はここに触れて、混沌とした矛盾と見えるものも、創造の豊かな多様性において、生きることを許されていると述べています。

 私の思いを付け加えるならば、この肯定や楽観は、イエスの歴史の中での悲惨の局面の事実と裏腹にもたらされている、ということです。

 平和の影の部分を大切にしたいと存じます。

(1989年8月6日 説教要旨 岩井健作)


1989年 説教・週報・等々
(神戸教会11〜12年目)

error: Content is protected !!