坂祝は信仰の故郷(2016 中濃”旧坂祝”教会70周年)

2016.2.27 執筆、おそらく「中濃教会 創立70周年」記念誌


 まだ戦災の傷あとが残る戦後間もない頃、兼松沢一さんが父岩井文男を尋ねて東京・永福町に来られた。

 昭和初期、加茂野でキリスト教に出会って以来、黒岩で開墾してきた約3000坪の土地と自分一家がかつて住んでいた農家を捧げるので、誰か伝道者を送ってほしい、とのことであった。坂祝に福音の種を蒔きたい、との堅い意志であった。

 父は、賀川豊彦に相談したらしい。「君が行ってはダメだよ」。だが適当な伝道者がなかった。結局「僕が行く」との大決断であった。

 父は元来群馬の農家の出身であったので、農業には馴染んでいた。一家は坂祝に移った。釣瓶井戸とランプの生活だった。

 1946年10月6日、教会の設立の日に、僕は何人かと一緒に父から洗礼を受けた。「坂祝教会第1号」である。

 中学1年、岐阜第1中に転校した。4キロの徒歩と1時間の高山線の列車と岐阜市内徒歩の通学だった。

 教会では、礼拝のオルガン、讃美歌指導、週報ガリ切り印刷、日曜学校教師を受け持った。近郊で聖書協会が行った聖書頒布運動などにも参加した。「賀川伝道」にはビラ貼りなど戦後キリスト教の熱気を背景に取り組んだ。

 日常は、サツマ芋畑の草取り、冬の麦踏み、山羊の飼育・乳搾り、などよくやったと思う。栗山八十吉さんに指導して貰って「蜜蜂5箱」を飼って学費の現金収入にした。一家総出の「農村開拓自給伝道」であった。

 中学3年の時、同信会の「献身キャンプ」に参加して、牧師に成る決心をした。加茂高校を経て、同志社神学部に進学(1952年)するまでの6年間、青年前期の多感な生活と信仰の故郷が「坂祝」である。思い出は多い。

 その後、私は神学校卒業、以来56年間、広島流川、呉山手、岩国、神戸の教会、ここでは阪神淡路大震災に出合った。1995年、この時、坂祝から三品進さん・兼松農夫彦さんが救援物資を車に積んで見舞いに来て下さった。嬉しかった。

 さらに(横浜)川和、明治学院の諸教会、全部で6つの教会で牧師を続けきた。教団では「社会派」牧師といわれてきたが、その芽は坂祝で日本の農村の経済・社会の構造を直々に体験したことが、源流になっている。

 今は、隠退して、同志社の校祖・新島襄の郷里の群馬・安中の近郊のキリスト教の老人福祉施設で暮らしている。小田部牧師と教会の前途に祝福を切に祈る。

(日本基督教団隠退教師 健作さん82歳)

▶️ 蘇原教会 岐阜県加茂郡白川町(2006 教会と聖書 ㉚)

▶️ 中濃教会(旧坂祝教会)魂の故郷(2006 教会と聖書 ㉘)

▶️ 坂祝は信仰の故郷(2016 中濃”旧坂祝”教会70周年)

▶️ 「戦後の農村へ ー 僕らの村の使徒行伝」三品進(1984 引用)

▶️ 昭和史に生きた痛快な軌道 井上喜雄(1984 書評・引用)

▶️ 十字架の死に向かいあう(2004 中濃教会・礼拝説教)

▶️ 心の中で生き続けている蘇原教会(2013 蘇原教会 創立60周年)

▶️ 岩井文男と賀川豊彦の農民福音学校(2012 賀川豊彦学会)