真実なこと

終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、…また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。(8節)
フィリピの信徒への手紙 4章8-9節

1、フィリピの信徒への手紙の特徴は著者パウロと教会との美しい交わりがある事です。またパウロが信仰の筋道について丁寧に語っている事です。例えば「福音の前進」(1:12 宣教論)、「苦しむことも恵み」(1:29 終末論)、「キリストは十字架の死に至るまで従順」(2 :8 キリスト論)、「信仰に基づいて神から与えられる義」(3:9 信仰義認論)などが述べられています。

2 、信仰の筋道は、建築でいえば、設計図、基礎、構造のようなもので、大事です。 その養いには、教理問答、信仰問答、信仰告白文、などが使われます。私もかつて西中国教区で、求道者の手引きとなる、教区宣教研究会編『洗礼を受けるまで』(教団出版局)の作成に参加した事を思い出します。パウロは、自分が伝道した教会に、ローマやフィリピの手紙など、筋道を追った信仰の論理を教えました。

3 、しかし、今日の箇所はパウロはそのような信仰の理解を一度離れて、一般社会で 人々によって担われている徳目「真実なこと…以下」の中に福音を再発見をするようにと勧めます。それが4章8-9節の言葉です。少し、釈義的なことを申し上げると、ここには八つの徳目が挙げられています。こういう徳目表は新約聖書の他のところ(ガラテヤ 5:22等)にも出てきます。当時のストア的民間哲学の中にある徳目です。ただ注意を払うべき点は、これらの徳目が、最後の言葉、「平和の神が共にいます」に集約している点です。民間哲学では、徳目の一つ一つを実行することで、個々人の人格、品性が立派になることに重点がおかれます。パウロでは、個々人の人間的完成ではなくて、神が共にいます共同体(教会、さらに社会)の形成が目標とされています。 「平和の神が共にいます」。その様な共同体を現代的に想像すれば、とにもかくにも、 社会や国の在り方を戦争の方向には向かわせない在り方です。

4 、今、「戦争のできる国への変貌」が政治の「アベ一極化」 で進んでいます。これに真っ向から抵抗しているのが、「沖縄」です。「歴史的にも現在においても沖縄県民は自由・平等・人権・自己決定権をないがしろにされて参りました。私はこのことを『魂の飢餓』と表現しています」(陳述書)と国から訴えられた裁判で意見陳述をするのは、翁長雄志沖縄県知事です(辺野古・訴訟陳述)。「…新基地が建設される辺野古の海はジュゴンが回遊し、ウミガメが産卵し…海は一度埋め立ててしまったなら、豊かな自然は永久に失われてしまうのです」。同氏は「『辺野古が唯一の解決策である』と同じ台調を繰り返すだけの政府の対応は、政治の墜落と思わずにはいられません」(同前)と言っています。彼は54歳の時胃癌の全摘をし、 死を前にし、後を生かされている生涯とし「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」 (p.229 )を座右の銘としています(翁長雄志著『闘う民意』角川書店 2015) 。今、日本が「真実なこと」として「心に留め」 (8) るべきことがここには含まれています。

於明治学院教会