人生の転生(2016 信徒講壇 ㉒・フィリピ)

フィリピの信徒への手紙 2章6節-9節

2016.1.31、 明治学院教会(信徒講壇 ㉒)降誕節 ⑥
於 YMCAとつか保育園

(日本基督教団教師、単立明治学院教会信徒・前牧師、岩井健作 82歳)

神と等しい者であることに固執しようとは思わず(フィリピの信徒への手紙 2:6、新共同訳)

1 、今日の聖書簡所は、パウロの有名な「キリスト論」が述べられています。「イエスとは誰か(何か)」に対して「それは”人間の姿”で現れた神」 (7)。それゆえに「救い主」である事を明確に述べた箇所です。

 その人間の姿は「十字架の死(歴史の苦難の極み)に至るまで従順」であったと徹底していました。「固執しようとは思わず」という所に「御子の降下」ではなく「神の転生」が鮮やかに出ています。

2 、「神の転生」に習うように、「人生の転生」を経験する事が、「イエス・キリストに従う」道であると思います。たとえそれは鮮やかであるか、小刻みであるかは人それぞれです。しかし、いずれにしろ、価値観の転換が刻まれています。

3 、先般、安中教会で、新島襄没後126年を覚えて説教(”なお壮図を抱いて”)を担当しました。改めて此の人の転生が鮮やかなことに気づかされました。日本近代の明治初期を生きた人です。新島は初め、日本が強い国(金と軍事力。「富国強兵」)になることを考えて勉学しました。それを目的に国外に脱出します。明治初期、明治政府を担った伊藤博文・木戸孝允・岩倉具視・森有礼・大久保利通らと同じ思想です。しかし彼は、その途上の船上でその動機が転生しました。それは船員の侮辱を刀で仕返しすることを、思いとどまった瞬間を契機としています。

 この時「神の力」 が彼の内に働いたと私は見ています。

 武士の身分から解放され一人の人間への転生です。『ロビンソン漂流記』が背景にあります。そして聖書に出合い、米国で洗礼を受け、牧師になります。会衆派教会の総会で日本にキリスト教主義大学を建てる志を訴えて、5千ドルの献金を与えられ、1874年(明治7年)帰国します。同志社大学設立を志し、志半ばで大磯に客死しました。1890年、明治23年1月23 日。47歳。

4、彼は帰国後、まず郷里の安中に伝道をします。

 湯浅治郎夫妻他多くの者が求道し、後に海老名弾正が遣わされ、安中教会が設立されます。1878年(明治11年) です。彼は、京都で山本覚馬を同志として、同志社英学校を興します。彼は死の年の元旦、詩を詠みます。

送歳休悲病羸身 鶏鳴早已報佳辰
劣才例乏済民策 尚抱壮図迎此春

送歳悲しむことやめん
病弱の身鶏鳴はやすでに佳辰を報ず
劣才たとい済民の策に乏しくとも
なお壮図を抱いて此の春を迎う

古い歳が過ぎて、病気であってもそれを悲しむのはやめよう。
鶏はすばらしい時を告げているではないか。
自分は才能にも乏しいが、なお大きな望みを抱いて此の春を迎えている。

 壮大な七言絶句です。臨終の間際に、弟子に「エベソ書 3章(特に12節,、20節) 」を読ませました。「わたしたちの内に働く御力によって」(20節)は新島襄の生涯に働く神の業を表わしています。

5 、彼の後継者からは「富国強兵」に対して「命の価値観」の担い手が輩出しました。

 臨終に立ち会った徳富猪一郎・小崎弘道・金森通倫。それに続く柏木義円・留岡幸助・山室軍平・吉野作造・安部磯雄・田畑忍・土井たか子。

 果ては、私も、信仰の由来を安中教会の祖先に持ち、その末商であると思っています。

「アベノミクス」や「集団的自衛権行使容認」「格差と貧困」「原発優先」に象徴される「命軽視」「金と軍事力」の価値観との闘いを持続してきた、また闘う一つの系譜です。

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