引用「昭和史に生きた痛快な軌道」井上喜雄(1984 書評・引用)

「信徒の友」1984年11月号 所収、
書評:『敬虔なるリベラリスト ー 岩井文男の思想と生涯』
(新島学園女子短期大学 新島文化研究所編 新教出版社 1984)

(サイト記)評者・井上喜雄氏:
1984年執筆当時、東京都民教会牧師。
1959年、評者・井上氏は岩井文男さんが牧師であった丹波教会に伝道師として赴任。
二人で丹波教会の牧会に務めた。


昭和史に生きた痛快な軌道」井上喜雄

 痛快な人生が、ここにあります。

 イエスの信仰を全身に充満させて、波乱に富んだ岩井文男先生の生涯の軌道を描いたものです。

 世に主観的な評伝や逸話集的な人物伝は多くありますが、激動の昭和の歴史とのかかわりに視点を置いて編集されています。

 この視点こそ、先生の生涯の視点でした。

 正統的福音信仰と社会的関心をその生き方の中にどう一致させるか、にありました。

 これは今日の教団の問題であり、キリスト者の大切な課題です。


 生涯に4つの転機がありました。

① 同志社大学法学部政治学科卒業後、入社した三井銀行をやめて、農民伝道に転換。27歳。
② 同志社大学神学部に再入学、32歳。
③ 東京の教会を解散して、岐阜の農村伝道に挺身、44歳。
④ 同志社大学の要職を捨てて、新島学園に転進、59歳。


 生涯の働き場は3つ。

(1)農村 : 群馬県甘楽郡に育つ。京都府綴喜郡草内村、岐阜の坂祝村、京都府丹波で農民伝道。

(2)教会 : 組合渋谷教会、後の永福町教会、岐阜の坂祝教会、京都府丹波教会で牧会伝道。

(3)学校 : 恵泉女学園(講師)、同志社大学(宗教主事、神学部教授、学生部長)、新島学園(中高校々長、学園長、短期大学初代学長)。

 そこに貫いているものは、福音信仰を、観念化、空虚化に終わらせないで実践せんとする意志です。

 「意志なき宗教を否定す」(同書 27頁)。

 3つの分野での相当な働きは、先生の能力や力量だけでなく、その器用さでもなく、「人格的媒介」によるものでありました。

 先生の人格を動かしているものが、イエスの信仰です。

 その信仰は、決して偏狭なコチコチではなく、人間味溢れるダイナミックなものでした。

 「形式的円満な牧師たらんよりも、不完全な良心的牧師たらんことを欲す」(同書 36頁)

 その欠点も短所からも「神の修理」を信ずるゆえに自由でありました。


 本書は2部から成っていて、第1部「思想」は、① 説教、② 論文、③ 回想、と先生の筆によるもので、説得力があります。

 特に、按手礼の際、記された「信仰告白」は、圧巻です。

 「論文」の農村伝道の社会学的視点からの分析は、今日の時代にも示唆を持つ内容です。

 傲慢になりがちなこの種の編集が、本書において成功している理由として挙げてみますと、

 ① 歴史とのかかわりという編集方針が貫かれていること
 ② 資料がよく整理されていること
 ③ 適切な執筆者を得たこと


 「生涯」の部分が、精彩を放っているのは、すぐれた執筆者自身が先生の人格に誘発されているからです。


 末尾の「解題およびあとがき」が大変よかった。

 編集意図と文章の初出と解説を記す中に、編者の力量が十分うかがえます。

 初めの「刊行にあたって」は、短文ながら、本書の内容をよく指し示しています。

 装丁の色の「土色」と、カバー装画の「わらぶきの家」は先生の昭和史の中に生きた生涯の血と汗と涙の象徴です。

 その生涯を一言で表現すれば、「痛快な人生」といえます。


 イエスの福音に押し出された自己の意志で、人間的な欠陥や生活上の苦労や、歴史の変化の中の行き詰まりを排して、思う存分に自由に生きた痛快さです。

 この痛快さは、私たちへの挑戦となります。

 「お前の信仰は、この歴史の中でどのように展開するのか」と。

 この書が先生亡き後、一年で世に出たことを喜ぶと共に、広く挑戦の書となることを祈ります。


「戦後の農村へ ー 僕らの村の使徒行伝」三品進
(1984 引用 『敬虔なるリベラリスト ー 岩井文男の思想と生涯』)

宗教部 笠原芳光
(1984 引用-1 『敬虔なるリベラリスト ー 岩井文男の思想と生涯』)

神学部と人文科学研究所 笠原芳光
(1984 引用-2 『敬虔なるリベラリスト ー 岩井文男の思想と生涯』 )

項目 ”岩井文男”(『日本キリスト教歴史大事典』)

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