1983年8月12日:岩井文男氏(御尊父)逝去
“岩井文男”『日本キリスト教歴史大事典』
(教文館 1988年発行、139頁、岩井健作)
(サイト記)冒頭画像は岩井文男氏(1978年5月28日、健作さんの神戸教会牧師就任式での祝祷)当時76歳。岩井文男氏:健作さん御尊父。新島学園女子短期大学名誉教授、日本基督教団教務教師、元同志社大学神学部教授、元新島学園中・高等学校々長、等々歴任。本ページでは本文に和暦・年齢・内部リンクを追加しました。
いわいふみお 岩井文男
1902(明治35)年8月9日〜1983(昭和58)年8月12日(享年81)。
日本基督教団牧師、教育者。
群馬県 北甘楽(かんら)郡 高瀬村に生まれる。
1918(大正7)年、日本組合甘楽(基督)教会で岡部太郎から受洗(16歳)。
同志社大学 法学部 政治学科卒業。
三井銀行に入行したが2年で退社。
大学時代の師・中島重に共鳴、日本労働者ミッション派遣員として、京都府 綴喜(つづき)郡 草内(くさじ)村で、農民福音学校やセツルメント活動に従事、兼松沢一らを指導した。
1934(昭和9)年(32歳)〜1937(昭和12)年、同志社大学 文学部 神学科に学んだ後、渋谷教会、永福町教会牧師を歴任。
日本基督教団設立後、第3部主事、総務局主事を経て、1946(昭和21)年(44歳)、旧知の兼松らの招きで、岐阜県に日本基督教団 坂祝(さかほぎ)教会を設立し、農村伝道に従事。
その間、日本基督教団 農村伝道特別委員、農村伝道神学校理事などを務めた。
1952(昭和27)年(50歳)、大下角一(当時、同志社大学神学部長)の招きにより、同志社大学宗教部主事、のち宗教部部長、神学部教授(実践神学)、学生部長を歴任、丹波教会牧師を兼務。
1961(昭和36)年(59歳)、湯浅正次の招きにより、新島学園中・高校長(群馬県 安中市)に就任、1980(昭和55)年、同学園長となる。
1983(昭和58)年(81歳)、新島学園女子短期大学(群馬県 高崎市)設立に尽力し、初代学長となった。
信仰においては、日本組合教会の精神的伝統に立ち、柏木義円(第5代 安中教会牧師 38年間、1860~1938)の影響も受けて、自由主義的・正統主義を、社会思想においては社会的キリスト教運動の流れをくむ、農村生活を基盤とした農本主義を、教育思想においては新島襄(同志社創設、安中教会創立、1843〜1890)の《百年の計》の一環を継承する人格主義をとった。
主著に『海老名弾正』(日本基督教団出版局 1973)がある。
《文献》『敬虔なるリベラリスト ー 岩井文男の思想と生涯』(新島学園女子短期大学 新島文化研究所編 1984)
(”岩井文男”『日本キリスト教歴史大事典』 岩井健作記)
以下『敬虔なるリベラリスト ー 岩井文男の思想と生涯』(新島学園女子短期大学 新島文化研究所編 1984)より引用。
「戦後の農村へ ー 僕らの村の使徒行伝」三品進(1984 引用 )
引用「昭和史に生きた痛快な軌道」井上喜雄(1984 書評・引用)
引用・書評『敬虔なるリベラリスト ー 岩井文男の思想と生涯』竹中正夫(1984 書評)