心の中で生き続けている蘇原教会(2013 蘇原教会 創立60周年)

2013.12.19 執筆
蘇原教会60年誌掲載

岩井健作(教団隠退教師、単立明治学院教会牧師、80歳)  


 蘇原で最初の聖書研究会が開かれたのが1946年。

 この年、坂祝(現在・中濃)教会も設立され、中学1年で私も受洗した。

 父岩井文男が蘇原に応援に来ていたので、その様子はよく聞いていた。

 加茂高校を出て、同志社大学神学部に入ったのが1952年、父の代理で山口氏のところや保育園園舎での礼拝説教に大学院卒業(1958年)までに何回か伺った。

 その時出会ったのが連れ合い・溢子であったので、私にはクロノス(時間)とカイロス(機会)が交錯する終生忘れ難い教会である。


 地方の地域教会が日本の教会を質的に担って教団の信仰的主流であることは、農村教会の出身である身にとっては痛いほどわかっていながら、卒業後はあえて都市教会の宣教を選んだ。

 理由は、日本の近代主義に同化しそれを担った個人主義的教会が体質的に変わらなければ、教会の変革はないという信念を抱いていたからである。

 広島流川・呉山手・岩国・神戸・川和(代務者)の諸教会を牧会して、2004年3月に隠退したが、その後、単立明治学院教会を今年度まで担当している。

 都市教会の体質改善は至難の業である。

 まず「戦争責任」の告白をすることを叫んだ。1967年、それは鈴木正久教団議長によって受けとめられた。

 地域と共に生きる教会という宣教論、特に沖縄の苦悩については、知らんふりをしてはならぬと「合同とらえなおし」に取り組んできたが、教団は33回総会で、一切を廃案にして、政治的多数を頼みに、地域と共なる宣教論を排し、教会の自己目的化に等しい「信仰告白」堅持路線に切り替え、果ては、宣教の多様さを無視し、神学的論議も行わないまま、「開かれた」聖餐を実施した紅葉坂教会牧師・北村慈郎氏を免職処分にした。

 私の背後にはいつも地方小教会のけなげなさが意識されてきた。

 その冴えたる存在が蘇原教会であった。

 60年という歴史は地域と共なる教会「日本基督教団」の宣教の輝きでもある。

 日高牧師、教会メンバーの一人ひとりに祝福を祈る。

▶️ 蘇原教会 岐阜県加茂郡白川町(2006 教会と聖書 ㉚)

▶️ 中濃教会(旧坂祝教会)魂の故郷(2006 教会と聖書 ㉘)

▶️ 坂祝は信仰の故郷(2016 中濃”旧坂祝”教会70周年)

▶️ 「戦後の農村へ ー 僕らの村の使徒行伝」三品進(1984 引用)

▶️ 昭和史に生きた痛快な軌道 井上喜雄(1984 書評・引用)

▶️ 十字架の死に向かいあう(2004 中濃教会・礼拝説教)

▶️ 心の中で生き続けている蘇原教会(2013 蘇原教会 創立60周年)

▶️ 岩井文男と賀川豊彦の農民福音学校(2012 賀川豊彦学会)

▶️ オルガン建造の現場に居合わせて 岩井溢子(2001 神戸・蘇原)

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