戦争責任告白の身体性をめぐって(2007/2013 神奈川)

2007.11.17(土)『戦責告白』40周年を覚える神奈川教区集会

▶️ レジュメ版

2013.12.9、集会報告集
(実行委員会編集 pp.15-18の発題記録に加筆修正したもの)

(教団教師、単立明治学院教会牧師、80歳)

1.「戦争責任告白」の有益性と限界性

第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(以下「戦責告白」)」(1967年)の有益性と限界性について考えてみたい。もっとはっきり言えば、「功罪」つまり「功」と「罪」があるということだ。

「功」つまりその有益性は、責任とか、戦争にたいする懺悔、神と隣人への懺悔を言葉化した事だ。言葉にしたことで事柄がはっきりした。これは「韓国・台湾・フィリピンなどのアジアの諸教会からの評価、教団の教会としてのアイデンティティーの方向付け」(『日本基督教団資料第4巻』1998年、p.326)である。このことは資料集が指摘している大事な点である。戦責のことを勉強するのには『日本基督教団資料』の第4巻の解説のところに、この時点までの文献がほとんど挙がっているので参考になる。責重な資料である。

 有益性については、戦後、これによってアジアの教会と繋がったことは大きなことである。これがなければアジアの教会とは繋がらなかったと思う。それから、これは教団の方向性をはっきりさせた。この二つが大事である。

 しかし、現実の教団には「後の動向を巡りマイナス評価があり克服の課題となっている」(前掲書、同頁)とあるように、「戦責告白」そのものを認めない立場がある事を事実として認識しておかなくてはならない。その教団の現状を含めて限界性、つまり「負」の面を指摘したい。

「戦争責任」を言葉化してしまった場合、言葉というものが理念として先行するので、現実とか実態をその理念で解釈し、観念化させてしまう危険が伴う。これはキリスト教信仰全般についても言われるベき事柄ではあるが、「戦責告白」もその例外ではない。 

 さて、「身体性」とは何かということであるが、これはよそ様の言葉を借りて表現させて戴く。

 養老孟司さんが「意識は身体に対して常に半秒ほどの遅れを持つ、それが人間の現実認識の根本にある」(養老孟司「言葉の身体性」『考える人』No.22、p.127)と言っている。脳生理学者の人が言っているのであるから、その文脈で聞かなくてはならないが、これはなかなか意味深い言葉である。

 つまり何か意識するその前に身体が知っているということである。意識は常に身体にちょっと遅れるという。もっと分かりやすくいえば、頭でっかちになりやすいということだと思う。

 養老孟司さんの言っている言葉、つまり「言葉と体験」は、行ったり来たりして互換性を持つという。言葉で認識したことを体験で受けとめ、体験したことを今度は言葉化するという、その相互作用が互換性である。その場合「からだが知っている」とか「からだが覚えている」ということが、いつも一歩先んじるということである。

 経験を根底にすえて「戦責告白」をとらえなおすということが、発表から40年経ったときに大切なことだと思い返す。

2.身体性から見直す幾つかの視点

<その1>
「身体性から見直す」ということで3つのことを挙げたい。

 これは私自身の反省である。「戦責告白」の発端は、1966年の出来事である。
「この夏期教師講習会の席上、若手教職たちから、戦時下の教団の戦争責任を明らかにすべきであるとする意見や、沖縄キリスト教団との合同を推進すべきであるとの提案がなされた。これを教団総会に何らかの仕方で建議しようということになり、講習会の運営委員であった渡辺泉、岩井健作、山岡善郎、大塩清之助、内藤協、及び校長の鈴木正久にその準備が委ねられた」(『資料集』前掲)。

「戦責告白」の本文は鈴木先生と東京側で大塩さんが加わって書き、第14回総会に出す議案の建議の前文は、私(岩井)と山岡さんと渡辺さんとで検討して作った。これは資料集に載っている。「若手教職たち」の一人は私のことである。当時30歳代で、「どうしても戦争協力の責任を教団として公にしていかないと、私は日本基督教団という教会での宣教・伝道に携わるということは、本当に出来ません」という思いに駆られていた。思いだすと寝台夜行列車「あさかぜ」に乗って東京に行くそのベッドの中でどのようにしたらこの想いが伝えられるだろうか」と一晩中考えて、この教師研修会に参加した。

 かなり気負っていたと思う。協議会で思い切って発言した。大塩さん、内藤さん、渡辺さんなどその他にも沢山の方々が共鳴してくださった。それにさすがやっぱり鈴木正久先生でる。鈴木校長はそのことをどっしりと受け止めた。当時教団伝道委員長だった鈴木正久、それから研修会の講師として参加していた宮崎明治、土岐林三などの諸先生がいて、きちんと受け止めて下さった。ではこれに取り組もうということで、運営委員が準備委員になり、作業を開始することになった。

 何で私がそのことを一晩まんじりともしないで夜行列車の中で考えていたかというと、ひとつは岩国にいて米軍基地撤去の活動をしていたことがある。岩国はひどかった。今はもっとひどいけれども。女性が犯されていくとか、これが日本かという出来事が日常茶飯事だった。それからもうひとつはその前広島で初めて僕は原爆の被害を知った。

 今日の発題者の一人、櫻井重宣先生は最近まで広島教会の牧師を務められたが、かつて僕はその隣の広島流川教会の伝道師をしていた。原爆被害の酷さを実感として経験した。でも今から「身体性」ということで考えると、その体験は大事だった。

 僕は農村出身だから、農村がいかに疲弊をするかという構造的な社会感覚は持ってはいた。しかし「戦責告白」への想いを吐露した時、沖縄のこと、アジアのこと、そしてアジアで1千万人死んだという被害の実情と現状、従軍慰安婦のことなどは、全くと言ってよいほどに自分の問題意識にはなかった。そういう意味での身体性を持ってないままで、一生懸命教団のことを突き上げたというか、発言していたのであった。

 今、「自戒を込めて」言うならば、確かに戦争が終わった時は小学校6年生だった。「あんたは子どもだからしょうがない」と言われもした。しかしそれでもアジアのひとたちへの戦争のあの加害性のひどい状態についての感覚とか実感というものを持っていなかった。

 後でいろいろ勉強して様々な運動に関わった事は事実である。関われば関わるほどその罪責の濃さを感じた。私は「戦責告白」が出たときに、中国新聞の「洗心」欄(後掲)に詩編130篇の「深き淵から」を引用して「戦責告白」が出てよかった、と述べた。
 ▶️ キリスト者と戦争責任(1967 中國新聞・岩国)

 だが、その淵がますます深くなっていくというのが、この40年の実感である。

<その2>
 それから、身体性の第二番目。

 映画『日本の青空』を観た。これは1945年に「憲法研究会」つまり憲法学者の鈴木安蔵を中心として研究会がもたれていたことを描いている。「憲法草案要綱」がGHQの草案に反映されたという。そして松本烝治の政府案が蹴られた。これを骨子にして「日本国憲法」ができたのが歴史的事実であることを述べている(決して押しつけ憲法などではない)。この背景には「自由民権運動」あり、「植木枝盛」あり、「大正デモクラシー」あり、「女性解放運動」ありという、日本の「からだ」の部分があったからこそ、このような憲法草案ができてきたわけである。私には安蔵の妻の俊子の言葉が大変印象的に残っている。

 何で今まで女に参政権が無かったかというと、「女に参政権を持たせたら、戦争はできない」という一句である。ご存知のように日本で生活していたベアテ・シロタさんという若い女性がGHQにいたが、第24条を入れることを強く主張したのは彼女だったという事を知ったのもこの映画である。

 身体性ということを言うときに、一般論ではあるが、どちらかと言えば男性は観念的だと言われる。女性でも観念的な人はいるが、概して生活を担っているという点で思考が身体的である。

 その意味で、男がリードしていなきゃ戦争はできない。日本基督教団ではどうなのか。構成員の人数の三分の二は女性だと言われている。しかし総会などにはかなりの議員に男性が出て行くという。そういう意味で、信仰における身体性というか、からだが知っているという事を取り戻さないと、この「戦責告白」は日常的に教会の体質には実質化しにくいものであると思う。これは教会の日常にかかっている。教会の体質が、いや教会だけではなく、家庭の日常にもかかっている。我々の社会のあり方にかかっている事柄である。そういう意味で、絶えず言葉化されたものが「その言葉の根源としての身体性」に帰っていかなければならないと思う。

 日本基督教団はほぼ日本国憲法の線に沿って宣教を実践してきた。関田寛雄先生が原案を作られた今度の神奈川教区第6号の決議事項を巡って考えると、憲法9条を実現するために「君が代、日の丸」の強制には反対し、米軍軍事基地に反対するという、想いは神奈川教区には痛切な課題である。

 今日もビラを配っていただいてるが、座間基地で座り込みを毎週している「バスストップから基地ストップの会」それから「うねりの会」は、女性中心の運動である。すごい身体性があると思う。それらの課題を担うことで、沖縄の諸教会との繋がりの観念性が破られていくと思う。

 今日は李仁夏先生がおいでになっていますが、在日大韓教会との繋がり、「多民族共生」ということの基本もここにかかっていると思う。それからホーリネス教団との交わりは加害者責任という歴史認識を根底において捉えることが大事だと思う。

 私は教団がホーリネス教会への戦時下の誤りの謝罪を決議した時、兵庫教区から地区の教会に謝罪に伺った。「もういいです。先へ進みましょう」と言ってくださったことが忘れられない。こういうことが「戦責告白」の実質化に繋がっている。「戦責告白」を身体的なものにしていくことが今求められていると思う。

<その3>
 曹洞宗の「韓国・朝鮮の遺族とともに一遺骨問題の解決へ 2006 夏」という運動がある。これは小さな冊子なって記録になっている。関田先生から「これをぜひ読んで欲しい」ということで最近送っていただいた。教団の「戦責告白」について深く考えさせられた。

 もちろん「戦責告白」を言葉化したのは日本基督教団が先である。曹洞宗は遺骨収拾ということを通して「東アジアの理解と和解への‥…宗教者のスタンス。亡くなられた方の命と人格の象徴である遺骨を、遺族と故郷に再び結び付ける」(『東アジア出身の犠牲者遺骨問題と仏教』 曹洞宗人権問題推進本部編 2007)ことで戦争への罪責を「からだ」でたどっている。

 なぜこの人はここで死ななければならなかったのか、遺骨が未だにどうにもならないのかはどういうことか。このことから手をつけている。「遺骨」というのはもうからだではないわけだ。でもそれを故郷に返し、肉親に返すという、そのことを徹底的にやることによって、われわれはアジアの人々への加害性を自覚し、戦争を遂行した罪を認識してゆこうという運動である。これをやっているのが曹洞宗である。

 もちろん、曹洞宗もカトリックもホーリネスも「戦争の責任」を言葉化したのは相当後である。教団の「戦責告白」はそういうきっかけを作ることができたと思う。そう意味では大変有効であったと思う。けれども、限界をもっている事を忘れてはならないと思う。言葉化してしまったゆえに観念化した部分を、これからは「からだ」で負っていかなくてはならないのではないか。

終わります。

▶️ キリスト者と戦争責任(1967 中國新聞・岩国)

▶️ 新たなる戦時、”戦争責任告白“の限界を乗り越えて(2008 講演レジュメ)

▶️ 戦争責任告白の身体性(2014 奥羽・講演 ①)

▶️ 「ことば」は「からだ」で語るもの(2009 望楼 ③)