おのれを低くして《ピリピ 2:1-8》(1992 週報・本日説教のために・夏期特別集会の前週)

1992.7.5、神戸教会
聖霊降臨節第5主日

(神戸教会牧師15年目、牧会34年、健作さん58歳)

 かつて鶴見俊輔氏は「聖書はすごい書物だ、何故なら教祖が絶叫して死に果てたことを平気で書いているからだ」と言ったという。

 しかし、これは正確に言うならば、マルコ福音書は、と言うべきであろう。

 マルコ福音書15章37〜39節は次のように告白する。

 ローマの百卒長が、イエスが十字架に絶叫して死に果てた、そのイエスに向かって、「まことにこの人は神の子であった」と。

 ”イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。その時、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息を引き取られたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。”(マルコによる福音書 15:37-39、口語訳)

 マルコのこの理解は、復活者の顕現によって初めてそのような告白が成立したのだとする解釈とは明らかに異なる。

 マルコがあえて復活者の顕現について語ろうとせず、16章7節で「イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる……そこで彼に会えるであろう」と天使に語らせているのは、民衆と共に生きたガリラヤのイエスに注目してこそ「復活」の意味は了解されるのだ、というマルコの主張を示している。

 ”今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう告げなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう」と。”(マルコによる福音書 16:7前半、口語訳)

 そこにこの福音書の独特な文学の意味がある。
(参照:荒井献『イエス•キリスト』講談社 1979)


(次週の夏期特別集会の講師にお招きする)青野太潮氏は、このマルコに表されている告白、つまり
・十字架の上で絶叫しつつ死に果てたイエスこそ《神の子》と告白する視点
・ただ十字架の悲惨さを見据えることによってのみなされる告白
 それを「十字架の神学」と呼ぶ。
(青野太潮『「十字架の神学」の成立』ヨルダン社 1989、p470)

 そして、これは、初代教会の最初期の信仰告白定型が示しているように、イエスの死を「多くの人の罪のための贖い、ないしは代理の死」と考えた(通常はキリスト教の成立の根底と考えられている)贖罪死の解釈とは別のものである、というのが青野氏の考え方である。

 さらに、この「十字架の神学」は時間的に見て、マルコよりはるか先立って、すでにパウロによって展開されている、と青野氏は主張する。

 そして、パウロは十字架を「愚かさ」「つまずき」であると述べ、「否定的な意味しか持ち得ない十字架の規定が、逆説的に神の力」と語る。

 青野氏はこの「逆説的に」を強調する。

 ここがなかなか伝達の難しいところではある。


 さて、ピリピ書2章6節以下の「キリスト讃歌」は、すでに初代教会で告白されていたものであるが、その文脈に「しかも十字架の死(に至るまで)」をパウロが付加することで、イエスの卑賎に、逆説性を徹底させたものであるという。

 ”キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。”(ピリピ人への手紙 2:6-8、口語訳)

 とすると、「讃歌」が含んでいる7〜8節の徹底的人間化の原理・精神・メンタリティーを成している「思い ”フロネイン”」は、イエスの「おのれを低くすること」の生を見つめることとの緊張なくしては抱くことの出来ない「思い」である。

(1992年7月5日 週報掲載 岩井健作)


7月11日(土)神戸教会神学講座「今日聖書をどう読むか」
講師:青野太潮(西南学院大学教授)

7月12日(日)礼拝説教
「神の子たちの出現」
説教者:青野太潮(西南学院大学教授)

7月12日(日)夏期特別集会 
礼拝後から18:30迄
「今日における『十字架』の意義」
講師:青野太潮(西南学院大学教授)


1992年 説教

1992年 週報

error: Content is protected !!