2000.2.6、神戸教会礼拝
(神戸教会牧師 健作さん66歳)
マタイ 5:1-12、(新共同訳の見出し「山上の説教を始める」)
イエスは生きることに、疲れ、悩み、呻吟するものすべてに語られた。
5章の1節。「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。」
1.昔から、イエスが群衆に語ったのか、それとも、弟子に語ったのか、という議論がある。
(1)弟子に、高度な倫理を。マタイは弟子と群衆を区別しているところがある(13:10)。地の塩、世の光、と合う。
(2)区別しないと、時代の波間に苦しんでいる人、アイデンティティーを失っている人とは別な所で語られたことになる。
多くの聖書注解者は区別しない(マタイ9:36。群衆を深く憐れむイエスを描く)。とすると群衆の中には、傍観者的な者あり、賛成する者あり、かなり距離を置く者あり、拒否する者あり。弟子が近くに寄って来たからといって、必ずしも、真の理解者ではない。新約聖書は、むしろ弟子たちの無理解を伝えている。
なぜ、グレードに分かれて話さなかったのか(学生青年センター、朝鮮語五つの段階、一番高いのは、映画のシナリオを読んでいる)
2.イエスが教えたのは、教えることになじまない真理。
イエスが語っているのは、生きる姿そのもの。
実存的真理、主体的真理、逆説的真理、は客観的に教えられるものではない。本来教えることにはなじまないことを教えている(自然科学、人文科学、社会科学は情報として伝え教えることが出来る)。
例えば、私たちは「愛について」学ぶことは出来る。愛とは何か、人はどう語っているか、愛を分析することは出来る。しかし、愛の関係そのものを生き活かされることは、経験する以外に把握することは出来ない。人格的真理というならば、関わりとして伝える以外にない。「至福の教え」をイエスが語ったということは、イエスがそのような関わりを持たれたということ。「教える」ことはそのものが関わり。グレードはない。
3.教えの中身。
この教えには、基本的には三つの部分がイエスに帰する(荒井、田川)
(1)貧しい人たちは幸いだ(神の国は彼のものだから)
(2)飢えている人たちは、幸いだ(飽き足りるようになるから)
(3)泣いているひとたちは幸いだ(笑うようになるから)
もし、この世に幸いであると祝福される者がいるならこの三者を除いてだれがあるのか、とのイエスの逆説的言葉であって、客観的真理ではない。この三つのことにはグレードはない。むしろ逆境。
このことはイエスが、貧しい人たちと、飢えていた人、泣いていた人と、共にあったことを意味する。
4.教えは預言者を指し示している。
今日のテキスト、マタイ5:1-12の一番終わりの所12節に「あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」とあります。
マタイの教会は紀元90年代の教会であります。この教会に預言者の生きる姿を思い起こすことが必要であった。その当時なりの迫害や困難に際して、預言者のことを思い出すことが生きることの教えになった。預言者のことを思い起こすことによって、イエスへと人々をつなげる。そこにこのテキストの深い意味がある。マタイの至福の教えの背後には、預言者の心がある。
預言者とはそのような人たちであったのか。
紀元前1000年から500年の間に(聖書を生み出した)イスラエル民族の中で特別な働きを持っていた人たちである。モーセ、サムエル、ナタン、エリヤ。王国が分裂してからは、文書を残している記述預言者が活動する。アモス、ホセア、イザヤ、ミカ、エレミヤ、エゼキエル、第二イザヤ。
預言者の特徴は(1)神の召命によって立つ。(2)神の言葉を語ることのゆえに単独者である。(3)時代の悪に批判的距離を持つゆえに、状況の中でのきしみに苦しんだ。
王国の分裂を思うと、とてつもなく、暗い時代だった。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」これは一般的教訓ではない。「神の子」はダビデ王朝の王理念を現している。イスラエルの王がヤーウェによって嫡出と認められることを「神の子」という。とすると、現実の歴史は、分裂、差別、抑圧、支配、管理、切り捨て、無視、無理解の渦巻く時代、つまり王国が二つに分裂していた時代の言葉であるから、「神の子」は終末的な概念である。平和とはほど遠い時代にあって(今はその時)平和の実現を目指し、祈り、軋みを生き続けている人々が、イエスの系譜につながる者であることを現している。なぜなら、イエスはそのことのゆえに殺されたのである。軋みを生きること、それは教えるという営みに、なじまないがなお教えている。
5.日本基督教団の戦後。
戦争協力への罪責、福音同志会、浅野、鈴木。
高倉徹(岩国教会牧師、教団総幹事、農村伝道神学校校長を歴任)は戦争中脱走兵だった。この感覚は教わったものではない。高倉牧師は何度か牧師であることに行きづまりを感じて、その度に、自分のような者でも神に用いられるということを、思い直して立ち直したということが、語られていた(葬儀の時)。(以下の画像左は、岩国教会牧師時代の健作さんを訪問した際の教団総幹事・高倉徹氏)
彼の父・高倉徳太郎は大変有能な牧師であった。「神は父の有能を用いたもう、そして私の無能を用いたもう」と語ったという。それは、本質的に、有能にしろ無能にしろ、神の真理を示し得るのかということ、ことを考える時、不思議と思い起こすのは、有能な説教者のことではなく、そのことで、四苦八苦してきた先輩たちのことです。時代の中で呻吟した底には預言者の苦悩と重なるものがあります。
教えられないのを大切にして生きたい。でも、教えていく、関わりを持って行きたい。山上の説教の言葉の背後に、時代を生きたエネルギーをくみ取っていきたい。