イエスの語り方 − 譬えという方法(2014 聖書の集い・イエスの生涯から ④)

マルコによる福音書 4章1-9節 ”「種を蒔く人」のたとえ”
▶️ ”種を蒔く” マルコによる福音書 4章1〜9節(聖書 おはこ ①)

2014.4.23、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第74回、「新約聖書 イエスの生涯から」④

(前明治学院教会牧師 〜2014.3、健作さん80歳)

マルコによる福音書 4章1節−9節

 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
(3)「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。(8) また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。

(マルコによる福音書 4:1-9、新共同訳)

1.イエスの語り方を三つの方法に受け取ってみたい。

 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。(ルカ6:20)

 これは叙述文である。一応これを「説明言語」といっておこう。

 敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。(ルカ6:27)

 これは命令文である。一応これを「人格言語」といっておこう。相手に対する人格的信頼がなければ、無意味な発言であるからである。この命令文は「一般的命令、律法」とは一線を画している。

 しかし、イエスの語り方の三分の一を占めるのは福音書に収録されている限りで「譬え・譬え話」といった語り方である。

 譬えを表すギリシャ語「パラボレー」は「パラ」(傍らに、並べて)と「ボレオー」(投げこむ、置く)からできている。意味は「比較、類比」である。

 譬えとは何か。「譬えとは、ある領域で確実なことは別の領域でも確実であるという仮定のもとに、自然あるいは日常生活から引いてきて、ある霊的真理を明らかにするために意図された比較と定義する」とは、A.M.ハンタ−という新約研究者の言葉である。

 東洋の文化では諺と譬えを厳密に区別しないが、ヘブル語マーシャル、アラム語マスラ(譬えを表す言葉)は、かなりの意味の幅をもっていて「諺」「譬え」「比喩的な言葉」「寓喩」「黙示的預言」「譬え話」「明喩」「隠喩」などを厳密に区別はしていない。

 福音書にはイエスの譬えは約60ぐらいある。

2.イエスは譬え話を語る時、相手を譬えの分かる人間であるとの信頼をしていた。

 例えば、今日の「種蒔きの譬え」を、神殿の祭司や律法学者にしたとしよう。彼らは、初めから神殿経済の中に育っていて、種蒔きの経験を幼少時代にしなくても済んだ人間である。彼らは、この譬えが、体験的に理解出来る生活を持っていなかった。そこには、根底的な信頼と、同時に、権力的支配階層(ユダヤ教のサドカイ派の祭司、やパリサイ派の律法学者)などへの厳しい批判の両面が込められていたといえよう。

3.だからイエスの譬えは、当時の日常の生活経験に基づいたものであった。

 語る相手も農民・漁民、当時の普通の生活者である。譬えのそれぞれに寓意的意味を付けたものがあるが、マルコ4章の「種まき」の譬えの解釈部分(マルコ4:13-20)は後の初代教会の解釈であって、イエスに遡るものではない。

4.有名な譬えの幾つかを挙げておきたい。

① マルコ:「医者と病人」(2:17)「ぶどう酒の革袋」(2:22)

② Q・イエスの語録資料:「二人の建築師」(ルカ6:47-49、マタイ7:24-27)「味がぬけた塩」(ルカ14:34f、マタイ5:13)

③ マタイ:「ブドウ園の労働者」(マタイ20:1-16)、「タラント」(25:14-30)

④ ルカ:「良きサマリヤ人」(ルカ15:30-37)、「放蕩息子」(15:11-32)、「金持ちとラザロ」(16:19-31)

 聖書を開いて読む手がかりにしていただければ幸いである。


5.「種蒔きの譬え」への私の思い

 父・岩井文男はもともと群馬の農家の次男であった。兄が家督を継ぎ、次男は祖父の信仰のルーツであった、新島襄の学校同志社に学ばせてもらい、銀行員になった。

 しかし「賀川豊彦」に出会い、神学校に行き、農村伝道を志した。

 開拓自給伝道の生活を私は青年前期に経験した。

 畑仕事・小動物飼育・養蜂などが生活の経験にあり、種蒔きは日常そのものであった。

 この譬えに、信仰と生活のルーツを重ね合わせる。

 特に「サツマ芋作り」には、社会・経済・政治の矛盾を、「麦作り」には、神の創造の美しさ・偉大さを読み取って育った。

 種が育って実を結ぶという事実はその後の人生の指針であった。 

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