イエスの振る舞い − 病からのいやし(2014 イエスの生涯 ⑤)

マルコによる福音書 2章1-12節

2014.5.7、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「現代社会に生きる聖書の言葉」第75回、「新約聖書 イエスの生涯から」⑤

(前明治学院教会牧師、健作さん 80歳)

▶️ 中風の人をいやす(2015 マルコ ③)
▶️ 中風の者をいやす(2008 小磯良平 ⑳)

1.奇跡物語

 新訳聖書の福音書を読んだ方は「奇跡物語」がたくさん出てくるのに驚かれると思います。ここは「奇跡」など信じない現代人には躓きになるところです。ところが新約のなかのパウロの書簡には奇跡物語はほとんど出て来ません。まとめられたキリスト教教義が出てきます。

 福音書の成立年代はパウロより後です。「福音」(神の良き訪れ)を伝える仕方を、論理で理解させる「まとめられた教義(Pacaged Message)」で伝えるよりも、イエスに出会った出来事(Encounter Matter)を大事にして民衆が語り伝えた物語伝承を集めてきて、物語を直接つたえる文学的方法をとったのが福音書です。物語にはそれが語られた状況が付されていますから、それを含めて読者は、想像力を巡らせて理解しました。文学的理解です。

 教義だけの理解では、人間がともすると欠落します。物語には生きた人間が登場します。神の良き知らせ(福音)の「出来事性」が伝わることが大事なのです。

2.治癒奇跡

「奇跡物語伝承」には奇跡の対象から分けると「治癒奇跡(病人をいやす)」と「自然奇跡(嵐をしずめる)」がありますが、前者が多く語られています。何時の時代にも病める不安な人は多かったのです。聖書学者・佐藤研さんは「いやし」に「差別から」「裏切りから」を含めます。社会的な人間疎外を含めての「いやし」がイエスの振る舞いでありました。

3.中風の男

 今日、選んだ箇所は「中風の男」の物語です。

(マルコによる福音書 2:1-13、新共同訳 ”中風の人をいやす” 並行箇所:マタイ 9:1-8、ルカ 5:17-26)

数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので戸口のあたりまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

1節「大勢の人が集まった」。生きにくい時代や社会の中で、民衆が何か「生きる力、魅力、希望」を求めていたのでしょうか。

3節「四人の男が」。向こう三軒両隣の御付き合い・友情が見られます。

4節 、病人を吊り降ろすとは常識を破った突飛な行動です。

5節、友人(また家族)の熱意と英知にイエスは「その人たちの信仰を見て」とあります。田川建三訳は「信頼」です。イエスとの出会い以外に別に「信仰箇条」が当時あったのではありません。

「罪は赦される」。これはこの男が罪を犯したから病気になったという事を意味しているのではありません。「罪が病気の原因だ」と言ったのは周りの社会通念、特に宗教的観念であったのでしょう。周りの偏見に病人自らが苛まれていたのです。その現実に対してイエスは敢えてそのような宣言をしたのです。治癒物語で「罪が赦された」というのはこの箇所だけだと言います。

7節、案の定、イエスの言動を監視していた律法学者はイエスを心のうちで咎めました。顔に表れること必定です。

8節、そこでイエスの挑戦が始まります。

9節「地上で罪を許す権威」。これに関連して「人の子らには一切が赦される。罪であろうと」(田川建三訳3:28)という言葉があります。イエスの思想としては「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5:45)があります。神の愛はあまねく行き渡っているのです。「罪」を律法違反としてしか理解していなかった律法学者への鋭い批判でした。「ただイエス・キリストの贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる」(ロマ3:34)と「罪の赦し」を理解したのはパウロであり、初代教会です。

11節、病人には「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われ、そのようになったとあります。彼は自分で立ち上がったのです。今までの依存的生き方が、状況が如何にあれ主体的に生き始めたのです。「奇跡」は、不思議(Miracle)ではなく「驚くべき出来事(Wonder)」だと言ったのは「聖書の非神話化論」を提唱した新約聖書学者のブルトマンでした。

12節「人々は皆驚き」とあります。

聖書の集いインデックス

▶️ 中風の人をいやす(2015 マルコ ③)
▶️ 中風の者をいやす(2008 小磯良平 ⑳)

イエスが批判した人たち − ユダヤ教支配体制(2014 イエスの生涯 ⑥)