神に叱られる(2013 礼拝説教)

2013.9.1 明治学院教会(319)聖霊降臨節⑯
(配布「聴き手のために」はPDFで掲載)

サムエル記上 4:10-22ペトロ第一 4:12-13

「叱られる」とは、どういう事でしょうか。『叱る − 子供が育つための100項目』の著者の伊藤友宣さんは叱ることの難しさを「押してだめなら引いてみな」といっています。サムエル記上4章は神がイスラエルを叱る4幕ものの劇のようです。

第一幕。イスラエルとペリシテとの戦争の布陣。先制攻撃が功を奏するとの計算のイスラエル側は敗北します。戦力が違います。

第二幕。「神の契約の箱」をシロの神殿から、運んできます。「神の契約の箱」は申命記10章1節以下にありますように「神の臨在」の象徴です。いささか神頼みの戦い方です。ペリシテ人は、初めはたじろぎます。イスラエルの大喚声に「神々が陣営に来た」と言って、恐れを抱きます。しかし、逆に、一層士気を高めて応戦します。結果はやはり、イスラエルの敗北です。祭司エリの二人の息子は戦死します。さらに悪いことには、イスラエル宗教の象徴であるべき「神の契約の箱」が奪われてしまいます。

第三幕。伝令は、戦場からシロの神殿に送られます。「神の契約の箱」を守ることが役目であった祭司エリはそれを聞いて、あまりの出来事にショックを受け、倒れて死にます。彼の祭司としての公の生涯は40年でした。

第四幕。出産の場面です。ピネハスの妻は、夫ピネハスと祭司エリの死のショックで子どもが生まれます。早産です。彼女は子どもに、絶望的名前を付けます。イカボデです。「栄光なし」という意味です。しかし、この出産の世話をした名前さえ歴史の記録に残っていない女性は「恐れることはありません。男の子が生まれました。」と告げます。絶望するオイネハスの妻とは対照的です。二人の女性を舞台は、浮かび上がらせて幕が下ります。

 さて、わたしたちは、この4幕ものの、劇から、幾つかのメッセージを聞き取ります。

 先ず第一に、戦争です。戦争は、どちらにも自分達なりの譲れない理由ががあります。イスラエルはその昔、カナンは、神の約束の土地だといって、先住民族を征服して、カナンに定住しました。ペリシテはその後、地中海からカナンにやってきて沿岸地帯に定住しました。双方の利権が絡んで、争いが起こります。イスラエルの歴史は、ほとんど戦争の歴史といってもよいくらいです。そうして、結局は国家が滅びます。申命記の歴史家は、その滅びのなかに意味を見出だします。そこから、歴史を見ます。どちらが勝つか、という力の関係で国家を見ていませんし、国家が究極的な価値の枠組みだとは見ていません。「剣を換えて鋤とする」というのは預言者ミカの言葉ですが、鋤で耕すことに、国家の在り方を象徴させます。軍事ではなくて外交を、という考え方が、そこにあります。

 第二。「神の契約の箱」の箱を戦場に持ち出すことの無意味さが言われています。宗教を戦争に利用してはならないのです。戦争への宗教利用は、昔も現在も、世界中どの宗教ででも行われています。日本では国家神道、特に靖国神社がその役目を果たしました。アメリカでいえば、アメリカが勝手に思っている正義のための、戦勝祈願をするほとんど国家宗教に近いキリスト教があります。遠い昔でなくて、日本の教会もこれをたとえ強制に近い雰囲気の中でとはいえやってきました。

 第三。この物語は「神の契約の箱」を持ち出したからといって、戦争には勝てなかった、という再度のイスラエルの敗北を記しています。申命記の歴史家は、神に叱られるイスラエルを描いています。エリの死はその表れでした。歴史家のエリの死の描きかたには、何か含みがあります。戦場から帰った伝令をエリは待ち受けています。祭司の務めとして「神の箱」を気遣って目を凝らしています。98歳で、既に目を患っておるにもかかわらず、「神の箱」の行方には全神経を注いでいる様が伺えます。18節には、伝令の男の報告が「神の箱」が奪われたことに及ぶと「エリは城門そばの彼の籍からあお向けに落ち、首をおって死んだ」と報告されています。エリは多分、祭司として、戦場に「神の箱」を持ち出しても、それが、イスラエルの本当に選ぶ方法ではないこと、小手先の賭けであることを、内心は悟っていたのかもしれません。それを阻止しえなかった自分への悔いがずっとあったかも知れません。

「彼は40年間イスラエルのために裁きを行った」という一句で、この段落は締めくくられていますから、彼は、務めに忠実によくやった、という評価もされています。それに98歳まで現役ですから、実によく勤めたに違いありません。それにもかかわらず、彼の死は穏やかではありません。「エリの家」は神によって絶たれるという、物語の推移を追っています。

 第四に(本テキストはここで中断)

(サイト記)礼拝当日配布された「聴き手のために」は以下のテキスト。

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