一つの体、多くの部分 − 部分からの思考

「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第42回「新約聖書コリントの手紙とパウロ」③
コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章12節-27節

(編集中)
1 、パウロの「コリントの信徒への手紙第一」にはどんな事が書かれているのでしょうか。その内容を、一瞥しておきます。
①党派争いの問題(1:1-4:21)。おのおの知恵を誇ることから生じる教会内の争いに対して、パウロは十字架のキリストこそ真の知恵であり、恵み、力であり、信仰者の誇りであるという、逆説を説く。
②不品行の問題(5:1-13, 6:9-20) 。教会内の不倫な者を除くように命じ、自己が買い取られたもの、聖霊の宮であることを思って不品行は避けるべきである事を説く。
③訴訟問題(6 :1-8) 。信徒は世を裁くものであるのに、信徒間の問題を世の裁判にかけるとは、敗北である。
④結婚問題(7:1-40) 。余念なく主に仕えるためには独身がよいが、不自然になるなら結婚がよい、いづれにせよ各自は終末の日がせまっているがゆえに現状にとどまるべきある。
 ⑤偶像への供え物の問題(8-10章)。偶像は本来実在する神ではないから、それへの供え物は食べても差し支えない。だが保守的な兄弟を蹟かせないために、その自由を控えるがよい。自由は兄弟の徳を高めるために自分を制限する自由として、神の栄光のために用いられるべきである。
⑥集会の秩序(11 :1-13)。集会における女のかぶり物の習慣は、神による秩序に従う印として守る事。主の晩餐は主の死の証し、再臨の希望をして厳粛に守る事。
⑦賜物の秩序(12-14章)。霊の賜物は、知恵の言葉、信仰、いやし、預言、異言等種々あるが、御霊の一つであり、各々は一つの体の肢である。だから賜物は兄弟の徳を高めるために用いるべきであり、愛こそは最高の賜物である。
⑧復活の秩序(15章)。復活否定を反論し、初穂としてのキリストの復活、死に対するキリストの勝利を奥義として論じている。
⑨献金の訴えと挨拶(16章)。エルサレム教会援助は、長いイスラエルの歴史に関わる事であるから、献金をするように。挨拶と祈り。

2 、パウロはコリント教会の諸問題に極めて具体的指示を与える。その中に、普遍化されたまとめの教訓や説得の言葉が含まれている。
今日の箇所は「霊の働きが一人一人に分け与えられている」(12:11)に続けて、展開されている一つの共同体論である。体(身体)と肢体(手、足)という関係の警えは分かり易いし、弱い部分が必要である、という論理は、現代では、健常者と障がい者とが共に生きる社会・ノーマライゼーション(正常化)の論理として作用している。「弱く見える部分が、かえって必要なのです」(12:22) は、現代社会の共同体論として大きな力を持つ言葉である。これは、コリントの手紙を貫くパウロの「十字架の神学」から出てくる言葉でもある。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われた者には神の力です」(1:18)。 「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(1:25) 。これらはイエスの十字架の死を通して、神が自らを示されているという逆説の論理であって、コリントの手紙をつらぬく基本であろう。

3 、鳥瞰図的に全体を見通す思考と虫瞰図的にある部分から全体に発信する思考との双方が大事であるが、抑圧、差別、格差といった問題では、虫瞰図的な視点が全体を生かす事になる。障がい者差別、民族差別、女性差別、被抑圧差別、貧困差別などは差別されている側からの思考を絶えず聴くこと、感受することの思考を怠つてはならない。
「弱い部分が必要である」とは、部分からの思考を訴えている。